「唯一無二」の王者を目指す、井岡一翔。
ここ10年で、最もメジャーな日本人世界王者といってもいい、井岡一翔。
私自身は、井岡というボクサーのイメージは昔から「上手い」。今もそれは変わりません。
井岡一翔の叔父にあたる井岡弘樹の時代から応援している私にとっては、もちろん応援するに値する素晴らしいボクサー。
井岡は、ライトフライ級時代に当時無敵のローマン・ゴンサレスから「逃げた」というレッテルを貼られてしまいます。井岡陣営は大金を払って回避した、という報道もありましたが、負けるからやりたくなかったのかもしれません。もしかすると、タイミングがあわなかっただけなのかもしれません。
真相はわかりませんが、これで「逃げた」と捉えられた井岡、これにより批判的なファンも増えてしまった事は、事実としてあると思います。
それでも、その後の井岡は、フライ級を制覇したあとには、「4団体統一」という目標を掲げますが、結局は実現せず、一度引退。
私個人の感想ですが、ロマゴン戦については、状況的に逃げたと言われても仕方がない部分はあるかもしれません。しかし、逃げてはいけないわけではない、と思っています。ライトフライ級時代のロマゴンは圧倒的で、はっきりいって井岡では難しかったと思います。
それで玉砕しても、その後のキャリアに影を落とす事はなかった、とも思いますので、本音を言えばあの時、やってもらいたかった、と思いますが、虎の子のタイトルを手放せなかった大人の事情もあろうかと思います。
では、井岡が強敵と闘っていないのか、というとそんなことはありません。
最初の世界タイトル戴冠から、今日に至るまで、しっかりと強敵を撃破し、ときに敗北を味わいながら、キャリアを築いてきた井岡一翔。その井岡のキャリアを、「強敵との対戦」を軸に振り返っていきたいと思います。
叔父は元世界チャンピオン、井岡弘樹。
ご存知、叔父は元世界2階級制覇王者の井岡弘樹氏です。そのお兄さんで、一翔の父親でもある井岡一法氏も元プロボクサー。ボクシング一家に生まれた一翔は、かつて叔父が所属していたグリーンツダジムにてボクシングをはじめます。
叔父、井岡弘樹が井岡ジムを設立するのと同時に移籍。
高校は名門の興國高校でボクシング部に所属し、高校6冠を達成します。この頃から勿論エリートです。
高校卒業後、こちらも名門東京農業大学に進学、北京オリンピックを目指しますが叶わず、大学2年で中退、プロ転向を決意します。
2009年4月12日にプロデビューしたのち、トントン拍子に勝ち上がり、わずか6戦目で日本ライトフライ級王座決定戦に出場。瀬川正義(横浜光)を最終ラウンドTKOで退け、日本タイトルを獲得、すぐに返上し、3ヶ月後には世界タイトルマッチの舞台にあがります。
2011年2月11日にWBC世界ミニマム級王者オーレドン・シッサマーチャイ(タイ)に挑戦します。ここまで40戦して39勝(14KO)1分という好戦績を残す王者。7度目の防衛戦で挑戦者・井岡を迎えます。
このオーレドンという選手は、戦績を見るとものすごいキャリアを誇っています。しかし、ミニマム級という最軽量級にあって、世界的にはメジャーな選手とは言いづらい。ただ、40戦というキャリアはあなどれない、強敵です。
そして井岡は6戦全勝(4KO)。キャリアが違いすぎ、時期尚早という声も聞こえました。
初回開始のゴングと同時にリング中央に躍り出る井岡。
ガードを高く掲げ、ジリジリと前に出る井岡と、バックステップしながらパンチを繰り出すオーレドン。初回は距離の探り合いです。
井岡がボディーストレートや左フックを狙えば、オーレドンはサウスポースタンスからの右ジャブを放ち、右に回りながら入ってくる井岡の打ち終わりを狙います。
2Rにダウンを奪い、井岡のペースですすんだと思われた序盤。しかし、4Rまでの公開採点では1-2で井岡というほぼ互角の内容でした。
そして5R、劣勢を気にしてかワンツーで矢継ぎ早に攻め立ててくるオーレドン。ここをバックステップでかわし、深入りしてきたオーレドンにカウンターで左ボディー一閃!!オーレドンはダウン!立てない!
衝撃的な左ボディー一発でのKO劇!井岡一翔、見事世界チャンピオンに!
このWBC世界ミニマム級王座は、かつてストロー級と呼ばれた時代に叔父の井岡弘樹が獲ったタイトル。井岡弘樹は最年少での王座獲得という記録、そして井岡一翔は日本人最短、7戦目での王座獲得となりました。
この王座獲得後のインタビューで、「4階級制覇を目指します」と名言。
その王座を2度防衛したあと、八重樫東(大橋)の持つWBA王座との統一戦が組まれる事になります。
日本人初の王座統一戦
IBF、WBOがまだ日本で認可されていないこの頃。(翌2013年に認可)前年に王者になったばかりのWBC、WBA両王者ともに興行権は前王者が握ったまま、そしてそれぞれのテレビ局の思惑など、様々な困難を乗り越えていよいよ実現。
井岡弘樹のもとボクシングを始めた井岡一翔と、大橋秀行のジムでプロとなった八重樫東。
師匠同士も当時対戦を取り沙汰されたライバル関係にあった両者の一戦は、2012年6月20日に定められ、日本人(男子)としてははじめてのWBA、WBC両王座の統一王座戦となりました。八重樫は後の3階級制覇王者、勿論強敵です。
ゴングがなり、1R、2Rは八重樫のプレッシャーに井岡が押され気味。しかし、井岡の的確なパンチは八重樫の両目を腫らし、回を追うごとにひどくなるその腫れは何度もドクターのチェックが入りました。
八重樫は両目を腫らしたことで早々にTKO負けのピンチに陥りますが、気持ちを切らさずファイタースタイルを選択し、前に出て左右のフックを振るいます。
前に出てくる八重樫に対し、持ち前の距離感を活かしカウンターで迎え撃つ井岡。
試合は予想以上の好試合となり、ラウンドごとの判定が非常に難しいシーソーゲーム。
日本人同士の世界戦の根底にあるものは、意地と意地のぶつかり合い。私の予想は、技術に優る井岡が、それでも気持ちの強い八重樫をしとめきれずに判定勝利、というもので、果たしてその通りにはなりましたがそれ以上に熱いものを見せてもらいました。
井岡vs八重樫、伝説の一戦の動画はコチラ↓
https://www.asianboxing.info/videos/category/kazutoiokavsakirayaegashi
僅差の判定で勝利した井岡は、次のステージへ。
2階級制覇と3階級制覇への挑戦
ミニマム級の世界王座を返上し、ライトフライ級へ挑みます。
ライトフライ級に転向初戦で2012年12月31日にWBA世界ライトフライ級王座の決定戦が組まれることになります。ホセ・ロドリゲス(メキシコ)を相手に、1R早々にダウンを奪い、結果6RにTKOという圧勝で2階級制覇。
このとき、WBA世界ライトフライ級スーパー王者として君臨していたのがローマン・ゴンサレス(ニカラグア)。ここでロマゴンとの一戦が取り沙汰されましたが、結果的に消滅。
その後、3度の防衛に成功します。
3度目の防衛戦には非常に評価の高かったフェリックス・アルバラード(後に世界王座を獲得)を退けるなど、盤石な強さを発揮しています。
そしてライトフライ級王座を返上し、3階級制覇を目指します。
2014年5月7日、IBF世界フライ級王者、アムナット・ルエンロン(タイ)に挑戦。
ミニマム級からライトフライ級に上げた時もそうだったのですが、テストマッチを挟まずにいきなりの世界戦。井岡のフレーム(体の骨格)的には、ここまでハイペースで階級をあげず、テストマッチをはさみながら体を大きくしていく必要があったのではないか、と思います。
ナチュラルなフライ級の相手に、下の階級から上げてくるとどうしても体格で劣ります。その体格差を、抜群の距離感と、テクニックで埋められるか。
ただ、このアムナット・ルエンロンには、アマチュア時代の国際大会で黒星をつけられています。井岡が負ける姿はなかなか想像しづらいですが、かといってこのアムナットも非常に老獪で、井岡とはまた違った負けにくい闘い方をする選手。
私の心情としては、ポジティブな意味で負けにくい井岡vsネガティブな意味で負けにくいアムナットの一戦。たとえ井岡が日本人じゃなかったとしても、井岡を応援したくなるような一戦。
この試合はアムナットがその老獪なボクシングを発揮。井岡は必死に食らいつくも、王者の執拗なクリンチにその綺麗なボクシングは阻まれ、スプリットの判定負け。3階級制覇に失敗します。
叔父、井岡弘樹からの悲願である3階級制覇の偉業は、またも失敗に終わります。
実力で敗けた、とは傍目にみてもいいづらい内容だった井岡は、すぐに再起を決意。その4ヶ月後には再起のリングに上がります。
ノンタイトル戦を2戦こなし、いよいよフライ級にマッチしてきた井岡。
井岡家の悲願、3階級制覇達成!しかし。。。
2015年4月22日、2度めの3階級制覇へのチャレンジ。WBA世界フライ級王者は、ファン・カルロス・レベコ(アルゼンチン)。かなりの強敵です。
レベコは36戦35勝(19KO)1敗、ライトフライ級に続きフライ級を制覇した2階級制覇王者で、今回が9度目の防衛戦。
対する井岡は、ミニマム級、ライトフライ級を制した2階級制覇王者で、16勝(10KO)1敗。
レベコはどちらかというと連打型のファイター。距離感には優れています。ライトフライ級あがりなので、体格もそこまで大きくはない。ただ、キャリアはあなどれず、世界戦の数だけでも井岡の戦績を超える。非常に厳しい相手ですが、アムナットほど老獪ではなく、他団体の王者であるロマゴンやエストラーダよりは若干格下の感が強い。
おそらくこのレベコがフライ級で1番与し易い王者なのかもしれませんが、それでも強いです。いわゆる「チーズ」チャンピオンとは程遠い。
さて、そのレベコ戦ですが、井岡は左ジャブをつき、丁寧に戦います。
手数の多いレベコに対し、井岡はカウンターで対抗。レベコのパンチは振りが大きく、井岡はコンパクト。攻めてくるレベコをいなしつつ、要所で攻める井岡。挑戦者らしく、もっと攻めてもいいのでは??と思うこともしばしばありましたが、結果判定は1-2で井岡。
いよいよ悲願の3階級制覇!ファン・カルロス・レベコという強敵に勝っての3階級制覇、ポイントの割り振りはしづらい試合でしたが、まあ妥当かな、と思います。立派なタイトル奪取ですが、なぜか物足りない。。。
ここまでで17戦、当時世界最速での3階級制覇。それでも尚、一般受けはするものの、物足りないと感じるファンがいるのは、これまで獲得した世界王座はあくまでもレギュラー王者で、(WBAという団体がそうさせる)同じ階級にも本当の王者がいたから、というのは理由の一つだと思います。
勝てそうな相手を選び、挑戦して獲得し、自らの上にいる王者とは闘わない。そのようにマッチメイクをしている訳でなくても、タイミングの問題でそうなってしまっていたのかもしれません。現代のボクシング界には、興行権の問題もあり、なかなか強者とばかりは闘えません。それは、世界のボクシング界を見渡してみても、露と消えたビッグマッチは星の数ほどあります。ボクサーだけの希望では、何ともならないこともあるのです。
ただ、井岡が「強い王者から逃げている」というイメージを持たれてしまった事は、より強者と闘ってほしいと期待する日本のファンからみると、仕方のない事だったかもしれません。要は、井岡一翔に期待しているからこそ、残念で、批判したくもなるのだと思います。
その後、5度の防衛のあと、井岡は突然フライ級王座を返上して引退。
この頃はプライベートもニュースになっていましたが、およそ父である一法会長との折り合いがつかなくなったこと、その呪縛から解き放たれようとしたこと、前妻である奥様も関係あるのでしょうか、2017年12月31日に生中継で引退を発表。
しかしそうはいっても円熟の極みにある井岡、ここで引退するとは考え難く。
きっと一旦の目眩まし的な引退なのかな、と思って見ていました。
その約半年後、大方の予想通り井岡一翔は復帰することとなりますが、ここからが井岡というボクサーの本領発揮、と相成ります。
Part2はこちら↓