信太のボクシングカフェ

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ボクシングが大好きです。大好きなボクシングのおもしろさを、たくさんの皆さんに伝えたくてブログを始めました。アマチュアボクシングを教えてるので、練習方法や基本なども書いていきます。

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「本物と闘いたい」願いは叶うか。村田諒太、帝拳魂の正統後継者。〜Part1〜

「本物と闘いたい」という気骨。

帝拳ジム所属の現役世界チャンピオン、村田諒太

当初三迫ジムからプロデビューするも、のちに帝拳ジムに移籍

世界的強豪との対決がないまま、世界タイトルに挑戦し、物議を呼ぶ判定で惜敗。しかし、この1戦で世界レベルで戦える事を立証し、同じ相手と再戦、TKO勝利で世界王者に

そしてそのタイトルの2度目の防衛戦は夢の舞台、ラスベガスに決定。

ミドル級王者として、世界に名を売るチャンスかと思われましたが、いいようにやられ、完敗。

スタイル的な弱点で、修正は不可能かとも思われましたが、大方の(?私の?)予想を裏切って再戦では圧勝。見事世界王者に返り咲き。

世界的な激戦区、ミドル級において日本人では二人目のこの階級を制した世界チャンピオン。しかし、世界的に層の厚いこの階級においては、未だビッグネームとは言えません。

ただ、「まだ上がいる」「本物と闘いたい」と幾度も語る村田諒太は、まだまだ我々に夢を見せてくれるボクサーです。その本物志向のファイティング・スピリットは、帝拳ジムに脈々と受け継がれる「前進」という名のスピリット。

今にもビッグマッチが訪れそうな村田、そのキャリアを振り返っていきたいと思います。

ロンドンオリンピック

村田のキャリアを語る上で外せないのは、2012年に行われたロンドンオリンピックです。このオリンピックで、村田は準決勝でライバルのアボフ・アトエフ(ウズベキスタン)を、決勝でエスキバ・ファルカオ(ブラジル)をどちらも僅差で退け、ボクシングという競技において日本に48年ぶりに金メダルをもたらしました。

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ここまでの道のりも勿論平坦ではなかった道のり。2008年の北京オリンピックの代表を逃したあと一度引退し、東洋大学の大学職員(兼ボクシング部コーチ)となります。しかし、このボクシング部が、元部員の不祥事が発覚し、活動自粛に追い込まれます。

「何とか自分がひっぱりたい」という思いから現役復帰、練習状況には恵まれなかったとは思いますが、復帰後に全日本選手権3連覇、インドネシア大統領杯優勝、そして世界選手権では準優勝と着実にステップアップし、ロンドンオリンピックへの出場権を獲得します。

このうち、「世界選手権で準優勝」というのは全階級通じて日本人初の偉業。それをミドル級(=世界の強豪が集まる階級)でやっとのけるのは、当時から別格です。

やんちゃだった少年が、恩師に諭され、高校時代は黒星スタートながら高校5冠、その後は国際大会などに出場し、最終的にはオリンピックで金メダル。ここで終わりでもよかったかもしれないボクシング人生、しかし村田はもう一度スタートを切ります。

 

当初、プロには行かないと明言した村田。しかしこのゴールデン・ボーイを放っておけない流れもあったでしょう。しかも、この時はプロ・アマの確執もあり、なかなか思うように物事は進まなかったと思います。もっとアマチュア→プロの流れが出来ている時期であれば、こんなにも時間はかからなかったかもしれません。

ロンドンオリンピックから一年近くが経過したところで、ようやくプロ転向を発表。

2013年4月12日、正式にプロ転向宣言

村田諒太は当時から体が強く、海外の選手相手にも押し負けないフィジカルの強さがありました。そして、それにともなってパンチングパワーも。

日本ボクシング界にはなかなか出てこない本格派のミドル級。

デビュー戦は2013年8月25日にセット、その相手はなんと日本・OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級の2冠王者、柴田明雄(ワタナベ)となりました。

一階級下とはいえ、日本とOPBFの2冠王者。かなり骨のある相手を選びました。

とはいえ、ミドル級で世界と闘っていこうとすると、アジア圏の選手で苦戦するわけにも行きません。村田のボクシングは、元々プロ向きで、そのキャリアの中で一旦の完成を見ているようにも見えました。実際、村田自身もアマチュアボクシングのキャリアの中で色々な方法を試した上で、馬力で攻めるような現在の闘い方を身に着けています。

6回戦で行われたこのデビュー戦、村田はなんと1R目、柴田から見事な右ストレートでダウンを奪い、2RTKO勝利。初戦で国内に敵なしを証明した後は、海外から選手を招き、またマカオや香港、ラスベガスなどでも試合をこなし、連戦連勝

デビューは三迫ジムでしたが、5戦目以降は帝拳ジムに移籍。おそらくミドル級で世界を狙うとなると、帝拳プロモーションの管理の下にいた方が何かと都合が良いのでしょう。

非常に好戦的で、得意の右ストレートを思い切り当てるスタイルですが、相手を詰めると連打が出る所が魅力です。

そのフィジカルの強さとハードパンチを全面に押し出し、前に出て、攻めに攻める。

チャンスとなった時の怒涛の連打、コンビネーションは目を見張るものがありますが、若干手数が少ない場面も見受けられます。

そして、上体の柔らかい相手や、ディフェンシブな相手、フットワークが速い相手に関しては少し苦手かもしれないな、という印象です。

さて、少し脱線しますが、この前に出るスタイルは、帝拳ジムの先代、故・本田明会長が好んだスタイルと言えます。

 

帝拳ジムの歴史

帝拳ジムは、1926年に「帝国拳闘会拳道社」として設立。日本ボクシング界の父、渡辺勇次郎が設立した日本拳闘倶楽部を破門された荻野貞行が造反して設立し、初代会長として田邉宗英を迎えます。

日本ボクシング界草創の頃のお話はこちら↓

boxingcafe.hatenablog.com

ちなみにこの田邉は、のちに㈱後楽園スタヂアム(現・㈱東京ドーム)の社長となり、また日本ボクシングコミッション(JBC)設立時に初代コミッショナーとなる実業家です。

荻野貞行は渡辺勇次郎の弟子で、日本ボクシング界草創期の強豪です。技巧派であったと言われ、日本拳闘倶楽部公認のジュニアフェザー級王者。引退後は指導者としての道を歩み、のちにボクシング・ガゼット(現在のボクシング・マガジンの前身)の発行に携わったりと、その功績ゆえにボクシングの母とも言われる御仁です。

その荻野は師範として就任し、その荻野の同級生の本田明がマネージャーとして参加

1942年、田邉が㈱後楽園スタヂアムの社長に就任したのにあわせ、会長職を本田明に譲ります。

その後、1946年に帝拳株式会社として法人化、ジム名を「王子拳道会」とし、1954年から現在の「帝拳」の名称を使用しています。

戦前、戦後、今に至るまで、数多くの名選手を輩出している超名門。ボクシングファンでなくても、知らない人はいないでしょう。

本田明は、その辣腕ぶりからボクシング界の天皇と言われた方です。

そのボクシング界の天皇は、前に出る攻撃的なスタイルを好んだと言われています。相手に怯んで後退して、それでもポイントアウトして勝利した選手に激昂して叱りつけたということもあったそうです。

その本田明が亡くなり、本田明彦が跡を継いだのは1965年、明彦が17歳のときでした。当時、ボクシングに携わった事のない17歳の高校生に、興行の話やボクサーのことなどわかる術もなく、実質的には1948年に帝拳に入社し、現在まで現役で勤めている長野ハルがそのマネージメントを取り仕切っていくことになります。

ボクシング界の天皇が亡くなるのと同時期に、トップ選手の引退も相次ぎ、帝拳はその存続に危機を迎えます。その頃入門した大場政夫が、超攻撃的なボクシングスタイル、つまり先代会長が好んだスタイルで帝拳ではじめての世界チャンピオンとなりました。

そしてその後、浜田剛史が同じく超攻撃的なスタイルで世界チャンピオンに。

↓浜田剛史の物語

boxingcafe.hatenablog.com 


おそらく先代会長の思いがまだまだ残っていた時代、帝拳の選手たちがボクシング界の天皇の好んだスタイルで世界を獲ったことは、決して偶然ではなかったと思います。

浜田剛史の頃まで、アマチュアで実績をあげた選手をスカウトするということもやってはいなかったようです。その後は勿論、ボクサーの幅も時代とともに変化し、ファイタースタイルのボクサーだけでなく、テクニシャン、カウンターパンチャー、アマエリート。。。と世界チャンピオンを輩出していきます。

さて、長くなりましたが、ここで私が言いたかった事は、村田諒太は、かつてボクシング界の天皇と言われた男が好んだ、「帝拳スピリッツ」そのものなのではないでしょうか、ということです。前進し、ハードパンチを振るう村田。後退はしない。まさに先代会長が好んだスタイル、村田諒太は帝拳スピリッツの正統後継者、と言って差し支えないと思うのです。

世界初挑戦

デビュー以来の連勝を12(9KO)とした村田諒太。

2017年5月20日。WBA世界ミドル級王座が空位となったことで、当時暫定王者のアッサン・エンダム(フランス)との王座決定戦が組まれます。

エンダムは、過去にWBA、WBOの暫定王座を獲得(WBOは獲得後、正規王座に認定)、プロボクサーの出場が解禁となったリオ・オリンピックにも出場(一回戦敗退)。そしてその後にまたもWBA世界ミドル級暫定王座を獲得、その獲得戦がミドル級世界戦での最短KOを記録。

IBF王座の決定戦でデビッド・レミュー(カナダ)に完敗していることもあり、正直、暫定どまりであり他の王者たちよりもワンランク、ツーランク程落ちる王者ではあるものの、これまで世界のトップ戦線と渡り合ってきたのは事実。

対する村田は、世界ランカー(下位)との対戦はあるものの、こちらは強豪との対戦はありません。しかし、キャリアを積み、前戦、前々戦では素晴らしいKOを見せ、勢いにのります。 

村田に世界タイトル奪取の期待がかかる一戦、戦前の私の予想は「よくわからない」でした。(それは予想とはいいませんが。。。)

村田のガードスタイルというのが、世界のトップボクサーを前にしてどれくらい通用するのか。加えて、エンダムとは何者か。勉強不足でしたが、正直わからないことだらけでした。

この日と翌日で計5度の世界戦が開催されるボクシングフェス。初日のトリとして村田の世界挑戦がセットされました。

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↑遠方から行くので、こうやってまとめてくれると本当にありがたい!

拳四朗(当時)、比嘉大吾が世界タイトルを奪取し、まわってきた村田の出番。

ゴング。サークリングするエンダム、追う村田。序盤、村田は前にでるものの、ほとんど手が出ない。エンダムの足は思ったより速くない、パンチはそんなに重そうではなく、怖さのないボクサーという印象です。しかし、懐が深いのでしょうか?

その後も、サークリングしながらジャブを出し、ワンツーで踏み込むエンダム。その攻撃が終わったところで村田が一発、二発。距離をとるエンダム、という感じ。

エンダムの右は結構振りも大きいので、人によっては難なくかわせるのだろうが、村田はガッチリガードして打ち返すというスタイルを取り続けます。エンダムがパワーレス(に感じるのは、村田のフィジカルの強さか?)なので、このスタイルでいいとは思うのですが、いかんせん連打が少ない。

これまでの相手だと、ロープにつめて、もしくは一発当たったところで怯んだ所に連打を持っていけた村田でしたが、エンダムの場合は一発当たっても後続打を当てさせてくれません。そして、常にサークリングしているので、ロープに詰まることも少ないです。

 

そして4R、右を振るうエンダム、そのカウンターとなって村田の右がヒット!ダウンを奪います。この右は本当に美しかった。並のボクサーなら勿論これで終わりです。しかし驚異的な回復力を誇るアッサン・エンダム、何事もなかったかのように立ち上がります。チャンスとばかりに攻める村田ですが、ここは仕留めきれず。

5Rから更に軽快にフットワークを使うエンダム。明らかに村田の強打を警戒しています。追う村田ですが、なかなかエンダムに拳が届きません。

エンダムは大きくサークリングしながらジャブをつき、いざ自分がロープ際にくると前に出てクリンチ。村田はプレッシャーをかけながら前にでるも、打ちながら出るとエンダムのジャブで止められ、突進すれば足でかわされるという展開。エンダムは上体の動きも柔らかく、村田のパンチはことごと空を切ります。

中盤以降、エンダムの足元はかなり怪しくなってきます。もともとスタミナに難があるのか、バランスのいいボクサーではないのかもしれません。序盤、しっかりした動きを披露していたエンダムですが、村田のパンチも効いているのか徐々に精彩を欠いていきます。後半、とにかくエスケープを主体とするエンダムですが、離れ際のパンチと村田が入るのに合わせて打つストレートでポイントをピックアップ。

12R闘った結果、勝者はスプリットでアッサン・エンダム。

この判定結果は、疑惑の判定、と言われています。

 

ちなみに会場で見ていた私の個人的な感想としては、胸を張って「村田の勝ち」といえる試合内容ではなかったと思っています。

前進はするものの、明らかに少ない手数。あくまでもパンチをダメージで与える、という競技において、村田の手数は少なすぎたように感じています。

ただ、仮に村田の勝ち、と言われたとしたらそれはそれで納得はできたのですが。。。

結果的に敗れはしたものの、村田がこの試合で証明したことは多い、と思います。

村田諒太が証明したこと、そして足りなかったこと

まずは世界戦を戦えるスタミナ。

この試合の序盤、かなり手数が少なかったのは村田自身、12Rの闘い方を知らなかった、というのも大きいのだと思っています。

ミドル級のトップ戦線にも通用する、フィジカル。

最も懐疑的だったのは、あのガードスタイルが本物のミドル級ボクサーのパンチに突き破れてしまわないかどうか、でした。エンダムは確かにパワーのある方ではありませんでしたが、このスタイルが充分通用することを証明できました。

村田のパワーは本物か。

パワーについても、エンダムをノックダウンさせたことで、また、その後エンダムが距離を獲ったことで、脅威を示せました。

そして、村田に足りないもの

アグレッシブさ。ただただ前進するだけではなく、攻撃のため、ダメージを与えるために前進するアグレッシブさです。要は手数です。

止まった相手に攻撃するコンビネーションだけでなく、自ら距離を詰めたあとに、または詰めながらのコンビネーション、入り方にいろいろなパターンが必要です。

たった一度の敗北で諦めてしまうボクサーは多くいます。

しかし、日本国中の期待を背負った男は、ここで辞められる程自由ではありません。

この一戦の判定結果は物議をかもし、WBA会長も声明を出し、ダイレクトリマッチが決定します。

物議を呼ぶ判定から約半年後、2017年10月22日、場所は両国国技館。

前戦と同じ展開になったとすると、今回負けるのはおそらくエンダム。前回、エンダムの勝利と判定されているジャッジは処分されているからです。

対して村田は、同じ闘い方をすれば良い。ただし、前回よりも手数を出して。

ものすごくシンプルに思えるこの構図。12Rを闘い、手の内のわかった両者ともに、やるべきことはわかっています。今度こそ、村田が日本人で2人目の世界王者となってくれると信じ、その瞬間に立ち会うために今度も会場での観戦を決意しました。

天気予報では、季節外れの台風が関東を直撃するというニュースが流れていました。

Part2はこちら↓

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