信太のボクシングカフェ

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ボクシングが大好きです。大好きなボクシングをたくさんの人に見てもらいたくて、その楽しさを伝えていきたいと思います。

日本人未踏の「強打」の階級。これまでと、これからと。

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ウェルター。「welt=強打」が語源のこの階級で、未だ日本人世界王者は皆無。

中量級の中にあり、非常に人気の高い階級であるこのウェルター級は、古くはヘンリー・アームストロング、シュガー・レイ・ロビンソン、キッド・ギャビラン、ホセ・ナポレスの名王者たちが猛威を振るい、中量級の黄金期にはシュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズがキャリアをスタートさせた階級です。

現在の王者は、

WBAスーパー マニー・パッキャオ(フィリピン)

WBAレギュラー アレクサンダー・ベスプーチン(ロシア)

WBC、IBF エロール・スペンスJr(アメリカ)

WBO テレンス・クロフォード(アメリカ)

と、まさに見事な顔ぶれが揃っています。

他にもキース・サーマン、ダニー・ガルシア、モーリス・フッカー、ショーン・ポーター・・・等々、キリがありません。

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人気階級だけに、名勝負も多いです。最近ではサーマンvsパッキャオは本当に感動しました

スーパーライト級とスーパーウェルター級に挟まれたこの大人気階級で、日本人の世界王者は現在存在しません。どころか、実際は世界に挑戦することすらも困難です。

しかし、日本国内のウェルター級戦は今、強者と強者がぶつかり合い、盛り上がりを見せています。いつの日か、いや近いうちに、この階級で世界王者になってくれる日本人が現れてくれる事を祈りつつ、これまでの日本人による世界ウェルター級挑戦の歴史を振り返ってみたいと思います。

 

日本人ボクサー、世界挑戦の歴史

1976年10月27日 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ

ホセ・ピピノ・クエバス(メキシコ)vs辻本章次(ヨネクラ)

日本人として初めてこの階級の王座に挑んだのは、テクニシャン・辻本章次。

元トップアマチュアの辻本は、1970年にB級デビュー。1972年に日本王座を獲得。その後日本王座を保持したまま龍反町(野口)の持つOBF東洋ウェルター級タイトルに挑戦するも引き分けで戴冠ならず。9度の防衛に成功した後、クエバスに挑戦。

クエバスは3ヶ月前にタイトルを獲得したばかりでしたが、下馬評不利の中王者のアンヘル・エスパーダ(プエルトリコ)を痛烈にKO、凄まじいハードパンチャー。

しかしその強打を空転さえさせられれば、辻本に勝機あり、とするファンも多く、稀代のテクニシャン、辻本に期待の集まる中、試合は金沢で挙行されました。

事実、前半は辻本がその技巧を駆使してクエバスの強打を空転させます。しかしかまわず左右を振るうクエバス。互角の展開。

そして6R、辻本は少しクエバスの圧力になれたのか、少し距離が近く感じます。そして、ここでクエバスの豪打が爆発、3度のダウンを奪われてストップ負け。

その後、クエバスは連続11度の防衛(10KO)に成功し、トーマス・ハーンズにそのタイトルを明け渡します。タイトルから陥落時、まだ22歳という若さでしたが、その後の試合はパッとせず、トップ戦線から姿を消す事になります。

辻本はその後も日本タイトルを防衛し、13度目の防衛戦で200年に1人の天才といわれた亀田昭雄(当時ミカド)にそのタイトルを明け渡し、そのバトンを次の世代に渡しました。

 

1978年2月11日 WBC世界ウェルター級タイトルマッチ

カルロス・パロミノ(メキシコ)vs龍反町(野口)

龍反町は、1965年にプロデビュー、1969年に日本ウェルター級王座を獲得。その後、1970年に世界ランカーに挑むもKO負け、同年に出直しを誓いOFB東洋ウェルター級王座を獲得。1973年にジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)の王者、輪島功一に挑戦するも失敗、翌年も同王座に挑戦するもオスカー・アルバラードにKO負け。

雌伏の時を経て日本人として初めてラスベガスのリングでの世界タイトルマッチにこぎつけます。

カルロス・パロミノは1972年にプロデビュー。1976年にメキシコの英雄ホセ・ナポレスから番狂わせでタイトルを奪ったジョン・H・ストレーシーをKOしてタイトルを奪取。前述のクエバスと同時期に王者になっていますが、クエバスほどのインパクトがない選手。しかし世界王座を7度防衛という間違いない名王者。5度目の防衛戦で龍を迎えます。

ラストチャンスにかける龍は序盤から積極的に攻めていきます。パロミノは龍の一発を露骨に警戒。しかし3Rからはパロミノはペースを掌握し、続く4R、パロミノ得意の左フックを痛打。ラウンドが進むごとに龍のダメージは蓄積し、それでもラスベガスという夢の舞台で奮戦した龍反町。結果は7R、左フックのカウンターを喰ってKO負け。

その後はジュニア・ウェルター級(現スーパーライト級)からあげてきた天才ウィルフレド・ベニテスに小差判定でタイトルを奪われることとなります。

龍反町はこのタイトル戦の翌年、OFB東洋ウェルター級王座の12度目の防衛戦に敗れ、引退。パロミノに挑戦した時には既に30歳、既にピークは過ぎていたのかもしれません。

 

1988年2月5日 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ 

マーロン・スターリング(アメリカ)vs尾崎富士雄(帝拳)

 

尾崎富士雄は1980年にプロデビュー。東日本ジュニアウェルター級新人王として全日本新人王決定戦に挑みますが、赤井英和に3RKO負け。

1982年に日本ライト級王座を獲得。シャイアン山本に判定負けで陥落するも、再戦でリベンジ。そのタイトルは今度は友成光に奪われます。

階級をウェルター級に上げ、日本王座を13度防衛中(12KO)の串木野純也を下して戴冠。再戦で引導を渡します。3度目の防衛戦で陥落も、再戦でリベンジし、王座奪還。2度目の防衛戦で、ライト級に敗れている友成を挑戦者として迎え、KOでリベンジ

再戦にものすごく強いですね。

1988年、尾崎念願の世界初挑戦の地はアメリカ。

スターリングは1979年にプロデビュー。1982年には地域タイトルで、1984年には世界初挑戦でドナルド・カリーに判定負けしているものの、いずれも僅差。1987年にマーク・ブリーランドを11RTKOでWBAウェルター級王座を獲得。その初防衛戦で日本の尾崎を迎えました。

試合は尾崎が挑戦者らしく、いや日ノ本のサムライらしく、果敢に前に出ます。スターリングはさながらタッチボクシングのようにアウトボックスしながら、パンチをコネクトする作戦。しかしジャブの的確さは素晴らしい。尾崎は愚直に前に、前に、前に出ます。尾崎が肉薄したウェルター級の世界王座。見ようによっては尾崎の方に転がってもおかしくはなかったのかもしれません。しかし、王者の技巧はさすがのものでした。

判定は3-0でスターリング。しかし尾崎の奮闘にか、それともスターリングのディフェンシブなボクシングになのか、会場からは(今でいうリゴンドーが勝った時のような)ブーイング。

スターリングは続いての防衛戦で前王者のマーク・ブリーランドと引き分け。次戦ではトーマス・モリナレスを相手に防衛戦を行いますが、6R終了後のゴング後の加撃により6RTKO負けを宣告され、陥落。(その後無効試合となりました。)翌年WBC世界ウェルター級王座を獲得し、その王座を保持したままIBFの世界ミドル級王座にも挑戦(→失敗)。WBC世界ウェルター級王座も同年の防衛戦で陥落し、引退。

再起した尾崎は、1988年、OPBF東洋太平洋ウェルター級王座を獲得。スターリング戦の闘いが評価されたのか、2度防衛のあと世界ランク1位となり、2度目の世界挑戦にこぎつけます。

1989年12月10日 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ

マーク・ブリーランド(アメリカ)vs尾崎富士雄(帝拳)

ロス五輪の金メダリストであるブリーランド。アマチュアボクシングでは無敵の強さを誇り、1984年のオリンピック後に早々にプロデビュー。1987年に王座決定戦でWBA王座を獲得しましたが、初防衛戦でスターリングに奪われます。

2度目の王座も王座決定戦で獲得。

3度目の防衛戦で挑む尾崎富士雄、今度はホーム、後楽園ホール。

ブリーランドは今でいうとロマチェンコクラスのアマエリート。(アマ戦績は111戦110勝1敗)しかし、プロ入り後は敗戦を経験するなど順風満帆とはいえません。その技巧は確かながら、スターリングに肉薄した尾崎のこと、チャンスはあります。

ゴングがなると、ブリーランドはストレート、特にジャブを多用し、尾崎を中に入らせません。序盤はブリーランドペース。3Rには尾崎が攻勢をしかけます。ここから、と思われた矢先、ブリーランドの左アッパーが尾崎の右目上をカットし出血、4Rにはドクターストップ。

何とも不完全燃焼の結果ではありましたが、尾崎はこれで引退。

1990年代に入ると、またもウェルター級は活性化、世界のスーパースター達がしのぎを削ります。そうするとアジアの選手にはチャンスすらも回ってきません。アイク・クォーティー、パーネル・ウィテカー、オスカー・デ・ラ・ホーヤ、フェリックス・トリニダード

2000年代に入っても、シェーン・モズリー、アントニオ・マルガリート、フロイド・メイウェザーJr、ミゲール・コット。。。

 

その間隙を縫って、日本人が世界挑戦にこぎつけたのは、2009年の事でした。

2009年6月3日 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ

ビチェスラフ・センチェンコ(ウクライナ)vs佐々木基樹(帝拳)

早稲田大学卒業のインテリジェントボクサー、佐々木基樹。学歴なんかはアテになりませんが、佐々木の発言には知性を感じます。協栄ジムからプロデビュー、東日本新人王を獲得しましたが、全日本新人王決定戦で敗れます。2003年、2度目の日本タイトルへのアタック。王者は将来を嘱望されていた湯場忠志大方の予想を覆し番狂わせを演じます。初防衛戦で江口真吾に敗れ、陥落。その後は勝ち負けを繰り返しますが、気持ちは折れず、一度ランク外となった日本ランクに復帰し帝拳ジムへ移籍。

2008年にレブ・サンティリャンを攻略しOPBF東洋太平洋ウェルター級王座獲得。3度防衛のあと、世界タイトルマッチが決まりました。

王者、センチェンコはウクライナ出身の元オリンピアン。ウクライナのアマチュア出身の選手らしく、お手本のような正統派ストレートパンチャー。25歳とプロデビューは遅かったものの、既に完成の域に達している選手で、デビュー以来連戦連勝。2009年、同国人のユーリ・ヌズネンコからタイトルを奪取、29戦全勝のレコードで初防衛戦で佐々木を迎えました。

佐々木は湯場戦のような番狂わせを起こせるか。敵地・ウクライナでゴングがなると、佐々木はこれまでに培ったボクシングと知性を総動員して向かっていきます。フィジカルやテクニックではセンチェンコに遠く及びません。佐々木は少しでもペースを取れるように、何とか自分の土俵にもってこれるように前進しますが、センチェンコは冷静にジャブをつき、ストレートを伸ばし、全くといっていいほど崩れません。佐々木の渾身のブローもヒットはしますが、センチェンコに効かせる程ではありません。苦しい中にも、意地を見せた佐々木でしたが、大差判定負け。センチェンコを苦しめた、とも言える試合内容ではありましたが、センチェンコのストレートに押し負ける場面もあり、見栄えはよくありませんでした。

その後の佐々木は再起しOPBF東洋太平洋スーパーライト級タイトルを獲得、2011年にはWBC世界ライト級王者ウンベルト・ソトに挑戦しますが負傷判定で敗北。引退と復帰を繰り返し、2017年に途中ブランクもありながらの20年の現役生活にピリオドを打ちました。

センチェンコはその後4度目の防衛戦でタイトルを明け渡しますが、再起戦ではリッキー・ハットンをKO。2013年には日の出の勢いのケル・ブルックに敗れ、その後は3連勝した後、グローブを吊るしているようです。

佐々木が世界ウェルター級戦に挑んでから10年超

未だ挑戦することすらかなわない、このウェルター級。日本人初のウェルター級王者は、いつ現れるのでしょうか。

現在、日本ランキングはミニマム級〜ミドル級までがあり(ヘビー級は特殊なので除く)、世界タイトルを獲得できていないのはこのウェルター級のみ。

現在、日本王者に小原圭太(三迫)。スーパーライト級で世界挑戦経験があり、先日の永野祐樹とのタイトルマッチは見事なもので、小原未だ衰えず、をアピールしました。

そして前王者となりましたが永野祐樹(帝拳)にも期待。必殺の左ストレートを武器に、粗もありますがまだまだ伸びしろのある選手だと思っています。

OPBF東洋太平洋ウェルター級王者の長濱陸(角海老宝石)も期待のもてる王者です。クドゥラ金子との決定戦では、インテリジェンスを感じさせるファイトを見せました。永野祐樹との激闘も記憶に新しく、ハートの強い王者です。

その長濱に敗れ、引退を表明してはいるもののやはり期待してしまう22歳のホープ、クドゥラ金子(本多)。アフガンセンセーションの再旋風を期待。

そのクドゥラ金子に敗れましたが、安達陸虎(井岡弘樹→大橋)も22歳、期待の若手。強豪揃いの大橋ジムに移籍、近い階級に井上浩樹、平岡アンディといったスター候補が群雄割拠する中で揉まれてより強くなってくれることを願います。

帝拳ジムからは豊嶋亮太(24歳・日本ランキング1位)、玉山将也(26歳・日本ランキング5位)もまだまだこれから期待の持てる選手。

そして、WBOアジアパシフィック王者の別府優樹(久留米櫛間&別府優樹)。連続KO記録を狙っていた時はなかなか評価が定まりませんでしたが、ベラミー戦、永野戦、矢田良太戦を経て日本トップレベルをしっかりと証明してみせました。

最後に、復帰を表明した矢田良太(グリーンツダ)も、穴は多いスタイルながらもまだ終わってはいません。

この中で、もしくは今後出てくるホープの中で、いつの日か世界ウェルター級王者が現れることを願っています。そしてウェルター級の王座を奪った暁には、世界がうらやむようなビッグマッチが待っているはずなのです。

 

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