信太のボクシングカフェ

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ボクシングが大好きです。大好きなボクシングをたくさんの人に見てもらいたくて、その楽しさを伝えていきたいと思います。

長谷川穂積、無双。最強決定戦と2階級制覇へ。〜Part2〜

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2005年4月16日、絶対王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーションに挑んだ長谷川穂積。当時、ウィラポンに長谷川が勝てると思っていた人は少なかったと思います。

しかし、長谷川は自分を信じ、これまでの自分のボクシングよりもよりアグレッシブに前に出て、持ち味であるスピードを活かしその対決を制し、ウィラポンの長期政権を終わらせました。そして再戦では、そのウィラポンを返り討ち。

日本にもおそらくたくさんのファンがいたであろうウィラポン、その次代の終焉と、新しい時代の始まりを予感させる勝利でした。

長谷川穂積のキャリアを振り返っているブログです。Part1はこちら↓

boxingcafe.hatenablog.com

 

長谷川穂積の時代。

2006年11月13日、3度目の防衛戦。相手は指名挑戦者のヘナロ・ガルシア(メキシコ)。ガルシアはトップコンテンダー、2000年には世界王者になる前のラファエル・マルケス(メキシコ)にKO勝ちした戦績が光ります。

1Rで長谷川はガルシアのパンチを見切り、2Rから攻勢に出ます。4Rには左アッパーでダウンを奪います。その後、ガルシアは粘りを見せ、長谷川も集中力が切れてきたのか被弾も徐々に増えていきます。8R、バッティングによるカットで血だらけながら、ダウンを追加。最終的には12R判定勝利を納め、3度目の防衛に成功。

4度目の防衛戦も、強敵を迎えます。2007年5月3日、シンピウェ・べチェカ。16戦全勝(9KO)の無敗挑戦者。懐が深く、非常にやりにくい相手で、長谷川もべチェカも探り合って手数が少ない試合でした。お互いに手が出せないペース争いというのがあったのかもしれません。最終回、長谷川は強引に打って出る場面もつくりはしましたが、「噛み合わなかった」というのが正直な感想。「いや、べチェカ挑戦者なんだからもっと出てきて気概みせろよ」がもっと正直な感想。小差の判定防衛。

この防衛戦のあとしばらくして、山下トレーナーが独立し(解雇されたという情報もあったと思います)、真正ジムを設立。それにともない、長谷川も千里馬神戸ジムから真正ジムへ移籍。実情はわかりませんが、既に世界王者となったこのタイミングでの電撃移籍。この当時は移籍の自由度は今ほどなく、結果的に上手く移籍できてよかったです。

真正ジムへの移籍後初、そしてWBCバンタム級タイトルの5度目の防衛戦は、シモーネ・マルドロット(イタリア)。2008年1月10日、大阪府立体育館。

かねてから米国進出を目標に掲げていた長谷川は、この試合をテストマッチと位置づけていました。好戦的なマルドロットはスイッチしながら前進します。2R、バッティングにより長谷川が右目上をカット(レフェリーの判断はヒッティングによるカット)。そのトラブルにも負けず、長谷川は難なくスピードあるパンチを的確にヒット、判定勝利を納めます。2RのバッティングがなければKO勝利もありえた程、力の差は歴然。レフェリーがヒッティングということだったので、逆にストップ負けもありえた展開で、見事の判定防衛でした。

 

神がかり

2008年6月12日、6度目の防衛戦の相手は、クリスチャン・ファッシオ(ウルグアイ)。前回、流血での判定防衛だったため、アメリカ進出は保留。しかしこれまでの日本人バンタム級世界王者の最長防衛記録を塗り替えていました。

相手の出方にあわせて闘うスタイルから、自分から出ていくスタイルに。

長谷川は初回、距離を計る右ジャブ。相手の攻撃はステップでかわす長谷川。相手の出鼻に合わせて振る左ストーレートはいつもどおりですが、余裕をもちながらも前に出てプレッシャーをかけます。そして2R、ファッシオが踏み込んできたところで長谷川の左ショートのカウンター!ファッシオはダウン。なんとか立ち上がるも、その後は長谷川の連打にさらされ、ストップ。ランキング下位の選手(9位)とはいえ、こんなに安定感のあるチャンピオンはそうそういません。ラスベガスでの防衛戦に期待の高まる内容でした。

しかし、7度目の防衛戦でもラスベガス進出の夢は叶わず。

2008年10月16日、そろそろモチベーションも心配になる頃ですが、7度目の防衛戦は2位のアレハンドロ・バルデス(メキシコ)。長谷川自身、サウスポーは苦手と公言していましたが、蓋をあけてみれば前戦と同じく2RTKOでの勝利。世界王者になってからスタイルチェンジしたアグレッシブなスタイル。前に出ながら、抜群の距離感で相手のパンチをはずし、相手が出てきたところにカウンターをあわせるというスタイルが、長谷川のハートの強さと相まって、一気に花開いたのがこの頃でした。

2009年3月12日、8度目の防衛戦で指名挑戦者、ブシ・マリンガ(南アフリカ)を迎えます。このマリンガはまたもサウスポー。しかも、リーチが長谷川よりも20cm近く長く、「長身サウスポー」という誰もがやりづらい相手。この試合、「もしかしたら」長谷川のカウンターが届かず、凡戦になり、且つタイトルを失うのでは…?という見方もあったように思います。

しかし、この試合でも長谷川は難なく1RTKOで難敵を退けます。

これで3連続KO防衛、とにかく強い長谷川穂積に死角なし。

続く9度目の防衛戦は2009年7月14日にネストール・ロチャ(アメリカ)戦。ここも初回TKO。

長谷川穂積の強さ

12Rという長いラウンドを戦っていれば、対戦相手も長谷川のスピードに慣れてくるのかもしれません。しかし、序盤のラウンド、早すぎて面食らううちに左ストレートをもらい、その後もその回転力にディフェンスがついていかない。そして、パンチを出せばカウンターを貰ってしまう。相手選手にとっては、為す術がない状態。

 

特に序盤のKOが集中した背景には、そういったことがあるのだと思います。とにかく長谷川のスピード、回転力には目をみはるものがありますが、パワーで倒しているのではなく、キレで倒しています。カウンターの他にも、やはり対戦相手の目が慣れていない内に、アグレッシブに攻められるようになった(相手に合わさなくなった)事が、序盤でのKOを量産できるようになった理由だと思います。

ちなみに、この試合の数日前、元3団体統一世界スーパーフライ級王者のビック・ダルチニアンがバンタム級王座戦を闘っています。これに勝っていれば、長谷川との一戦がラスベガスで実現したそうです。しかしダルチニアンはここで敗れ、ラスベガスでの一戦は露と消えてしまいました。

そして10度目の防衛戦、2009年12月18日、アルバロ・ペレス(ニカラグア)戦。アグレッシブに出てくるペレス。長谷川も勿論アグレッシブに攻めていきます。得意なパターンに持ち込み、自力にも勝る長谷川。4Rでペレスに左ショートをヒット、ペレスは前のめりにダウン。そのままストップとなり、4RTKO。

2010年4月30日 フェルナンド・モンティエル(メキシコ)

モンティエルは1996年にデビュー、2000年にWBO世界フライ級王者となります。2002年にWBO世界スーパーフライ級タイトルを獲得して2階級制覇、2003年に2度目の防衛に失敗。その後、2005年に同王座に返り咲き。

そして2009年にWBOバンタム級王座を獲得し、3階級を制覇します。

当時、WBOをJBCは未承認だったがために、長谷川が勝てばWBC王座の防衛のみ、モンティエルが勝った場合のみ統一王者となる変則マッチで行われたこの試合。

5連続KO防衛という勢いのあるWBC王者が迎えるのは、3階級制覇王者。

まぎれもない、当時の世界バンタム級最強決定戦でした。

日本ボクシング史上至高の対決といっていいこの試合は、本当の強者が出すオーラで緊張の糸が張り詰め、会場の空気も違ったように感じました。

ピンと張り詰めた空気、その中で長谷川はスピーディーな右ジャブを飛ばします。

凡人にはわからないような圧倒的な駆け引きの中で、長谷川は主導権を握ったかのように見えました。いや、間違いなく握っていました。

1R、モンティエルのブローで顎の骨折。勿論見ている観客は誰も気づきません。1Rにクリーンヒットは無いようにみえるので、別のラウンドかもしれないし、もしかしたらかすったパンチで骨折したのかもしれません。

3Rには長谷川の攻勢。そして、更にペースアップした4R。

我らが日本のエースは、世界のトップオブトップにも負けていません。むしろ、凌駕している。誰もが期待したその矢先。

長谷川のミスブローに、モンティエルの左フック。効いた!

ラッシュするモンティエル。この嗅覚はさすがとしか言いようがありません。

長谷川は倒れる事を拒否し、左腕をロープに絡ませダウンを拒みます。いっそ、倒れてしまえば。。。誰もがそう思った事でしょう。

倒れる事を拒んだ長谷川穂積はモンティエルの乱打に巻き込まれ、あっという間のレフェリーストップ。4R、2分59秒。

 

まさに悪夢といって良いような、一瞬の出来事でした。

長谷川は調子も良さそうで、大いに期待できそうな立ち上がりでした。

そのあまりにも良い調子が、「いける」と思ってしまったことが、一瞬の気の緩みを招いた事も否定できません。あまりに調子が良すぎると、油断というものではありませんが、こういうことが起こりうる。振り返ってみると、井上尚弥がドネアの左フックを浴びたのも、要は長谷川穂積がモンティエルの左フックを浴びたのと同様のことなのかもしれません。

たった4Rに、ボクシングの醍醐味が全て詰まったと言っても過言ではない、至高の4R。

バンタム級王座を10度防衛という、具志堅用高に次ぐ防衛記録をつくり、長谷川はバンタムから去りました。

日本人初、飛び級での2階級制覇

かねてから減量が苦しかった長谷川は、これを機にスーパーバンタム級を飛び越え、フェザー級に転向。一時はバンタム級でモンティエルとの再戦を模索しましたが、まとまらないということも理由でした。モンティエルを日本に呼ぶ事もかなり無理をした(お金を積んだ)ようですし、モンティエルからすると長谷川と再戦はしたくない(序盤ペースを握られていた)ため、モンティエル側が渋る気持ちはよくわかります。

モンティエル戦から7ヶ月、再起した長谷川はダイレクトにWBC世界フェザー級王座決定戦のチャンスがまわってきます。

相手はファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)。日時は2010年11月26日。

WBC世界フェザー級王者、エリオ・ロハスが休養王者となり、正規王座の決定戦として設けられた一戦。ブルゴスは25戦全勝(18KO)無敗のホープ。パワーは目を見張るものがありますが、スピードは速くない。

しかし長谷川も、一気に2階級あげ、じっくり体をつくったわけではないので、おそらくフェザー級ではパワーレス。しかも、この試合の1ヶ月前、最愛の母を癌で亡くしています。

その母のためにも、結果を残したい。そんな思いがひしひしと伝わってくるようなファイトでした。違和感、と言っていいものかもしれません。

長谷川は鋭くステップイン、いつもの距離と違う場所、相手の懐で闘う選択をしました。

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ただ回転力、スピードは健在。ブルゴスは単発気味で、長谷川のスピードにもついていけず。

バンタム級時代に5連続KO防衛をしていた頃は、本当にきれいに倒していました。しかしこの試合は泥臭く、気迫を全面に出したファイト。母への思いがそうさせたのか、そういう作戦だったのか。

とにかく、結果は残しました。飛び級での、2階級制覇。

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しかし、まだフェザー級というには体が出来上がっておらず、このように打たれる事前提のファイトは、今後に少々不安を残したこともまた、事実と言えました。

Part3へ続く。 

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