信太のボクシングカフェ

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ボクシングが大好きです。大好きなボクシングをたくさんの人に見てもらいたくて、その楽しさを伝えていきたいと思います。

細川バレンタイン、引退。異色のボクサーのボクシングキャリアを振り返る。

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細川バレンタイン。

本日、自身のYoutubeで引退を発表したこのボクサーは、非常に異色といえるボクサーでした。

先日の、元世界王者・伊藤雅雪(横浜光)との一戦を持ってプロボクシングを引退、前回の試合が細川の戦う姿としては見納めということになりました。

寂しい気持ちもあれば、40歳、大きな怪我なくそのキャリアを終えてくれたことには少しの安堵感もあります。いや、やはり寂しい気持ちの方が大きい。

バレンさんの言い方を借りると、頭では「バレンさんおつかれさま」、心では「もっと見たかった」とこういうことです。

 

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王者細川 バレンタインプロフィール|角海老宝石ボクシングジムより


【細川バレンタインのキャリア】

細川は25歳でプロデビュー。デビュー戦は引き分けだったようですね。

はじめてその名前を見た時は、「輸入ボクサーか」と、おそらく多くの人が思ったのではないでしょうか。少なくとも、私はそう思いました。

 

この遅れてきたルーキーは、2006年にデビューしますが、今と違ってボクサーの発信の場は少なく、その個性的な生い立ちや、これまで歩んできた道のりにスポットが当たることなく、そのキャリアを重ねていきます。

初黒星は2007年7月、その年の全日本新人王となり、のちに日本、WBOアジアパシフィックのタイトルを獲り、世界挑戦も経験する近藤明広。

キャリアを見返してみるとおもしろいのは2008年の新人王トーナメント。

初戦、松下明広(のちのスパイシー松下)にTKO勝利を飾った細川は、2戦目では今や日本一のトレーナーの一人に数えられる加藤健太(現・三迫ジムトレーナー)と引き分け。ここを勝者扱いでコマを進めた細川は、続いての一戦に判定勝利、そして東日本新人王の決勝戦へ。

その決勝戦では麻生興一(当時ワタナベ)と引き分け、またも勝者扱いで全日本新人王戦へ。この全日本新人王決定戦で勝利して、見事2008年の新人王に輝きました。

この後、加藤トレーナーは連勝を続けるも、これからというところで網膜剥離を発症、引退。加藤との一戦から10年が経ったのち、その加藤トレーナーの教え子である吉野修一郎に挑戦することになる事は、この時誰も想像できなかったことでしょう。

 

そして、麻生とはのちに日本タイトルをかけて雌雄を決することとなります。

全日本新人王に輝いたのちも、トントン拍子にコトは進みません。

新人王になったことでライト級の日本ランカーの末席に加わりますが、ここから日本タイトルへの挑戦には結局、4年の歳月を擁し、チャンスが巡ってきたのは2013年の事でした。

当時の日本スーパーライト級王者、岩渕真也(草加有沢)に指名挑戦者として挑戦した細川でしたが、ここをストップ負け。そして更に、次戦でOPBFタイトルへの挑戦という幸運に恵まれますが、敵地韓国で11RTKO負けを喫し、連敗。しかも、連続のストップ負けを喫してしまいました。

 

その後も細川は闘い続け、ジャンボおだ信長本屋ペタジーニ(現・小田貴博)、のちに角海老宝石ジムで同門となる青木クリスチャーノ、5年のブランクを経て復帰した元トップアマ佐藤矩彰と闘い、こちらものちに同門となる岡田博喜の持つ日本スーパーライト級王座へアタック。

当時国内無敵を誇った岡田のタイトルには届かず、判定負けを喫します。この一戦で岡田は日本王座を返上、より上のタイトルをめがけて歩みを始めることになりました。

 

そして細川は岡田戦での敗戦後、クウエ・ピーター(大橋)を退け、3度目の日本タイトル挑戦へこぎつけます。

相手は、かつてドローを演じた麻生興一(三迫)。

この9年ぶりの再戦は、非常にドラマティック。

この間、麻生はワタナベジムから角海老宝石ジムやオザキジムを経て三迫ジムへと移っていました。そして三迫ジムへ移籍してから3度目の日本タイトル挑戦のチャンスを掴み、これを見事獲得。

そして細川も、宮田ジムから角海老宝石ジムへ移籍、3度目の日本タイトルのチャンスが巡ってきました。

9年のうちに親交のあった両者は、「どちらかがタイトルを獲ったら再戦をしよう」との約束があった、という記事を目にした記憶があります。

こうして実現した、麻生にとっては3度目の挑戦でようやく掴んだ日本王座の2度目の防衛戦、細川にとっては3度目の王座挑戦。

 

ともに2006年にプロデビューしていますが、20歳でプロデビューした麻生に対し、細川は25歳でプロデビューしており、その当時は麻生が31歳、細川が36歳。

この再戦は、3者ともに1ポイント差という大接戦で、細川に軍配が上がります。

細川バレンタイン、36歳にして日本王座初戴冠を掴み取りました。

しかし、初防衛戦はいきなりチャンピオン・カーニバル。指名挑戦者としてデスティノ・ジャパン(ピューマ渡久地)という難敵を迎えることになります。

 

当時のデスティノは、2017年4月に日本デビューを果たし、そのデビュー戦でのちの日本王者、当時無敗の永田大士(三迫)に対してストップ勝ち。アマキャリア豊富な永田の、ステップアップの相手としてピックアップされたはずでしたが、元オリンピアン、元ドミニカ共和国の国内王者の実力を日本国内に見せつけた闘いでした。

その後も2戦連続ノックアウト勝利を飾り、最強挑戦者として細川の前に立ちはだかります。

この段階では、まだ底を見せていないデスティノ・ジャパンの優位予想。

 

しかし下馬評不利を覆すかのように、初回から打ってでた細川は、序盤、試合を優位に進めます。迎えた4R、デスティノがカウンターの左フックを決めて細川はダウン。

しかし全く動じることなく反撃に転じ、終には7Rで倒しきり、初防衛に成功。

この試合は本当にエキサイティングな試合でした。

続く2度目の防衛戦は稲垣孝(フラッシュ赤羽)を1Rで仕留めると、3度目の防衛戦はあの井上浩樹(大橋)。

既に将来を嘱望されていたこの超大型ホープを迎えた3度目の防衛戦も、王者ながら予想は圧倒的不利。

プロ戦績12勝(10KO)無敗、元トップアマ、井上家の一員というチャレンジャーには、体格でも劣り、前半をほぼ互角で折り返すも反撃の糸口をつかめません。後半には突き放され、結果3-0の判定負け。

しかしまだまだ強くなる細川は、階級をライト級に下げ、再起。

再起戦は有岡康輔(三迫)を相手に秒殺KO、大復活を印象づけました。

 

このあと、日本は、というか世界がコロナショックへと入っていきます。そのコロナのパンデミックが起こるか起こらないかの頃、オーストラリアだったかで地域タイトルに挑戦する話があり、確かあれは正式に決定していたように思います。

きっと、細川なら敵地だろうが何だろうがやってくれるとは思いますが、なくなってしまって非常に残念でしたね。

とはいえその後も、ライト級の3冠絶対王者、吉野修一郎(三迫)に挑戦し、そして前戦の伊藤雅雪(横浜光)戦と、ファンを楽しませる試合を次々と行ってくれた細川バレンタイン。どちらも下馬評は絶対不利、それでも心が燃え続ける限りは、ボクシングを続けてくれるものと思っていました。

しかし伊藤戦を経て、本人としては「やりきった」と思える事が大きいようです。

↓細川バレンタイン、引退については下記

 

非常に魅力的なボクサーでした。

絶対的に強いというわけでもなければ、スピードに優れているとかパワーに優れているとかでもありません。ただ、ハートはとても熱かった。

そして、自身のYoutubeチャンネル、「前向き教室」でたくさんの人に元気を届け、そこからファンになった人たちにはもっともっと細川バレンタインのボクシングを見せてもらいたかったし、きっともっと見たかっただろうとも思います。

ただ、本人が選んだ道に、我々ファンがどうこう言うことはできません。

本人が「やりきった」と胸を張って言うことができ、ファンからは「惜しまれつつも」引退する、という事実は、細川にとっても、我々ファンにとっても、最も幸せな引退のひとつ。本当にお疲れ様でした。

ただただ何よりも、また細川バレンタインが熱中できることを見つけて、それに向かって挑戦していく姿をまた見たい、と思います。

そして今後の動向は、きっと前向き教室で語ってくれると思いますので、プロボクシングを引退した細川バレンタインに、今後もまた注目していきたいと思います。

 

 

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