信太のボクシングカフェ

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ボクシングが大好きです。大好きなボクシングをたくさんの人に見てもらいたくて、その楽しさを伝えていきたいと思います。

21世紀のThe Greatest、マニー・パッキャオ。その功績を尊ぶ。

※当ブログでは商品・サービスのリンク先にプロモーションを含みます。ご了承ください。

21世紀の「The Greatest」マニー・パッキャオ。

フィリピンのミンダナオ島出身のパッキャオは、拳を武器にアメリカ本土でのしあがり、世界で最も有名なボクサーへと駆け上がったボクサーです。

デビューは1995年、日本にも馴染みのあるOPBF東洋太平洋フライ級王座を獲得したのが1997年、初の世界タイトルを獲得したのは1998年、WBC世界フライ級王座。

そもそもデビュー戦はライトフライ級、しかも体重が足りず、重りを忍ばせて計量に臨んだ(Wikipediaより)というこのボクサーが、最終的に上り詰めたのはスーパーウェルター級でした。

 

ライトフライ級から数えると、フライ、スーパーフライ、バンタム、スーパーバンタム、フェザー、スーパーフェザー、ライト、スーパーライト、ウェルター、スーパーウェルター。この11階級もの間の中で、パッキャオはその時々に応じてウェイトを調整し、戦っていたということです。

これだけ見てもバケモノ。

しかもそのうち、フライ、スーパーバンタム、スーパーフェザー、ライト、ウェルター、スーパーウェルター級で主要4団体いずれかの世界王座を獲得しており、日本では「6階級制覇王者」と認知され、世界ではここにフェザー級、スーパーライト級を加えた「8階級制覇王者」として広く知れ渡っています。

 

フェザー、スーパーライトでは、パッキャオと戦った当時、主要4団体のタイトルこそ持っていませんでしたが、リングマガジンが認定する王者であったマルコ・アントニオ・バレラ、リッキー・ハットンをそれぞれ破っています。

しかし、2021年8月21日、キューバのヨルデニス・ウガスと闘い、敗北。

加齢による衰えはみてとれましたし、本人も脚が攣った、と自覚もあるようです。

 

さて、冒頭で「21世紀のThe Greatest」と紹介したマニー・パッキャオ。進退については明言を避けましたが、6:4の割合で引退だというインタビューを見ました。ここで、五体満足な状態でグローブを吊るすことがパッキャオの今後にとっても良い事だと思います。非常に残念なことではありますが。

衰えを顕現させてしまった今、このままずるずると戦い続けることは自身のためにもよろしくなく、ファンとしても良い気はしません。

また10数年経ったところで、もしお金が必要ならエキシビジョンを見せてください。頻繁にはいらないけれども。

 

さて、前回のブログ。

boxingcafe.hatenablog.com

 

この観戦記の冒頭で、「21世紀の最強ボクサー10傑」という記事について少し触れました。ちょっと勢いで書いてしまったのでアレなんですが、実際パッキャオが「最強」かどうかは置いておいて、21世紀、最も偉大なボクサーはやはりマニー・パッキャオだと思うのです。

私個人が思うのは、マニー・パッキャオというボクサーは、「ボクシング」や「ボクサー」という次元を超越して語られるべき存在であり、ほかのボクサーたちと同一に比較される対象ではなく、井上尚弥がパッキャオの再来となれるか、と問われれば勿論「否」、である、ということです。

マニー・パッキャオが比べられるべきなのは、他でもない、モハメド・アリなんだと。

↓とんでもないベルトコレクション!

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パッキャオの功績とは

パッキャオが残した功績は多くありますが、その一つは「アジア人でもスターになれる」ということだと思います。

モハメド・アリのように多くのことを語りませんが、その拳は実に雄弁。

無謀ともいわれるマッチメイクを次々と消化し、いつしかアップセットはパッキャオの代名詞となり、大人気のメキシカンボクサーたちとのライバル対決でそのファンたちを自身のファンに取り込み、果てはフロイド・メイウェザーJr.との大一番にこぎつけたことは記憶に新しい。

 

パッキャオは何も考えてないのか、とも思うほど、わけがわからないマッチメイクを受け続け、リングに上がっても相手の対策なんてしていないかのように自らのボクシングを貫き、勝利を積み重ねて、時に負けてきました。

負けることは恥ずかしいことではなく、挑戦し続けることが大切だ、そう教えてくれているようでした。

そして大切なことは、このパッキャオの挑戦によって、のちに続くボクサーの多くが救われた、ということだと思います。

ボクシングの中心で、何を叫ぶ

※以下は主観であり、何のデータにも基づいていません。いちボクシングファンの戯言と思ってお付き合い下さい。

イギリスから始まった近代ボクシングは、長くアメリカ(およびそれに隣接する国々)が中心でした。

 

「世界」とは、「ボクシング」とは、アメリカのボクシングのことだったのです。

近年はイギリスでもボクシングが盛ん、そして東欧、北欧の国々や広くアジアに至るまで、たくさんのボクサーたちがアメリカにわたっています。いつの間に、ボクシングはこんなにも国際色が豊かになったのか。今まで聞いたことのない国々のボクサーたちが、第二のマニー・パッキャオを目指してアメリカに渡っているのではないでしょうか。「アメリカとその周辺の国々」以外のボクサーが、アメリカのリングに立つ機会というのは、パッキャオ以降、確実に増えていると思います。

 

日本人ボクサーの中では先駆者的な存在である西岡利晃、三浦隆、亀海喜寛といったボクサーたちも含めて、「アメリカとその周辺の国々」以外のボクサーたちを売り込み、そして受け入れる際に、このパッキャオの功績というものは間違いなく、何かしらの影響を与えていると思うのです。

もちろん、稀に比較される井上尚弥にも。

なかでも、フィリピン。

 

ノニト・ドネア、ジョンリエル・カシメロといった複数階級制覇王者を生み出し、1990年代には日本では安価に呼べる、危険の少ない「アンダードッグ」だったこの国のボクサーたちは、明らかに「勝つつもりで」後楽園ホールのリングに上がり、そしてその幾人かは番狂わせ(と我々が思うような)勝利で、日本人ボクサーたちの夢を潰していきました。

私がまだ10代のころは、テレビに映るフィリピン人ボクサーは非常に弱かったように思います。タイ人ボクサーのほうがまだ強かったような記憶があります。(思い込みかもしれませんが)

 

当時はフィリピンから呼ばれたボクサーはとりあえずファイトマネーだけもらいたい、という無気力なボクサーが多く、(今ももちろんまだまだいるのでしょうが)そんなフィリピン人のアンダードッグと日本人ホープの試合は見る気になれませんでした。

フィリピン人ボクサーも今ほどパンチを振ってこず、どちらかというとディフェンシブな選手も多かったような記憶もあります。

しかし今やフィリピン人ボクサーたちは、強くパンチを打つことを意識し、明らかにノックアウトを狙った戦い方をしてくるという印象です。「一発の怖さがある」というのは、最近のフィリピン人ボクサーたちに共通して言えることであり、たとえ技術で圧倒できたとしても、試合をひっくり返される恐れがあり、これは非常に怖いことです。

 

ここには、大きくマニー・パッキャオの影を感じますね。

パッキャオの功績とは、世界8階級制覇という肩書に付随し、そのほかの国々のボクサーたち、とりわけアジア人ボクサー、その中でもやはりフィリピン人ボクサーたちに夢と希望を与え、ボクシングという競技、アメリカ、特にラスベガスという特別な場所を、アジア人ファンたちが訪れられるような場所にしてくれたことではないか、と思います。

こうしてアメリカのボクシング界において、アジア人が市民権を得ることで、ファン同士が交わったり、記者たちが会話をすることで、お互いを理解し、少しでも差別が少なくなる世の中になる、そう思うのです。

 

人間というのは、知らないことが怖い。怖いからのけものにする。

お互いに分かり合えさえすれば、きっと手を取り合うことができるはずです。

ボクシングファンにとって、マニー・パッキャオという一つの話題は、おそらく多くの物事を平和的に解決できる手段になるのではないでしょうか。

ジョー・ルイスがいたことで、モハメド・アリがいたことで、黒人は少しずつ市民権を獲得していったと思っています。

マニー・パッキャオがいたことで、何かが変わっていてもおかしくはありません。

 

「戦う力を与えてくださった神に感謝したいと思います。いつも私のそばに立っていてくれた家族に感謝します。ウガスと彼のチームを祝福したいと思います。。。。。以下略」

いつもパッキャオは周りに感謝し、母国フィリピンのために闘い、そして戦った相手を称えてきました。鋼の身体と、鋼のメンタルを持つこの稀有なボクサーの代わりは、今後も出てくる事はないと思います。誰も、マニー・パッキャオにはなれない。

このマニー・パッキャオというボクサーを、リアルタイムで見れたということに心からの幸せを感じつつ、今回のブログは結びます。

結局、何を言いたかったのか、というと、パッキャオはThe Greatestだと思っています、ということです。

 

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