ボクシングファンにとって、メガファイトが良きタイミングで実現する、というのは非常に稀なことです。それこそ一昔前までは、絶対に実現しない、それこそがボクシングでした。
しかし今、トゥルキ・アラルシクの登場によりその前提は崩れ、戦うべき相手がすんなりと決まることも多くなってきています。
一生やらないだろう、と思われていたテレンス・クロフォードvsエロール・スペンスJr.、これは実現しないだろうと思われていたアルツール・ベテルビエフvsドミトリー・ビボル。日本では来年5月に井上尚弥vs中谷潤人、これは両者プライムタイムにある最高のタイミングで激突する、世界でも類をみないほどのビッグマッチです。
ただ、決まりそうで決まらない、ということすらも楽しんできたのはボクシングファンのあるあるです。この前提が崩れた今にあって、よりそのことを崩し、真っ平らにしようとしているのがダナ・ホワイト率いるズッファ・ボクシングです。
ということで今回のブログは、ボクシング界の黒船、革命を起こさんとするズッファ・ボクシングについて。

Zuffa Boxing losing the PR battle in its Ali Act play
ズッファ・ボクシングとはなにか
ズッファ・ボクシングを語るとき、その顔であるダナ・ホワイトの本質を理解する必要があります。彼がUFCで築き上げたのは、単なる格闘技団体ではありません。それは、団体(UFC)が全選手の契約を独占的に管理し、ランキングやタイトル挑戦者をトップダウンで決定する、極めて中央集権的なビジネスモデルです。ファンやメディアからは、その手法が「資本主義の権化」「天才か悪魔か」と評されることもあります。選手のキャリアさえも「これはキャリアではない、チャンスだ」と言い切る彼の姿勢は、良くも悪くもUFCを巨大な成功に導きました。この「俺が決める」というスタイルこそが、彼の成功の秘訣であり、同時にボクシング界が最も警戒すべき点だと私は考えます。
ズッファ・ボクシングは、ホワイト個人の道楽ではありません。UFCとプロレス団体WWEが210億ドル規模で合併して誕生した、巨大スポーツ・エンターテイメント企業「TKOグループ・ホールディングス」の一部門です。TKOはニューヨーク証券取引所に上場する公開企業であり、その至上命題はスポーツの発展であると同時に、株主への利益を最大化することです。利益の最大化とは、突き詰めれば市場の独占に他なりません。彼らはボクシングを「スポーツ」としてだけでなく、UFCやWWEと並ぶ「ライブコンテンツ」という名の金融商品として見ている可能性があるのです。
このTKO帝国の野望に、とてつもない推進力を与えているのが、サウジアラビア総合エンターテイメント庁長官、トゥルキ・アラルシクです。彼は「ファンが見たい試合を今すぐ見せる」というシンプルな欲求を、オイルマネーで次々と実現し、世界のボクシングの中心をリヤドに移してしまいました。その影響力は凄まじく、日本の若きホープ、坂井優太選手にまでSNSで直接オファーを送るなど、その動きは大胆不敵です。ホワイトは、このアラルシクに対し、「既存の腐ったプロモーターどもより、俺の方がアンタの夢をもっと効率的に実現できるぜ」と囁いているのでしょう。
しかし、このホワイトとアラルシクの連携は、本当に盤石なのでしょうか?ここに、この計画の最初の綻びが見える、と私は考えています。アラルシクは、ホワイトの長年の宿敵であり、公然と罵り合ってきたオスカー・デ・ラ・ホーヤのゴールデンボーイ・プロモーションズとも、2024年7月に提携契約を結んでいます。
この事実は、アラルシクが特定のプロモーターに肩入れしているわけではないことを示唆しています。彼の目的はあくまで「リヤドで最高の興行を打つこと」であり、そのためならホワイトともデ・ラ・ホーヤとも、誰とでも手を組む。つまり、ホワイトは新たなボクシング界の「王」ではなく、アラルシク氏という絶対的な「王」に仕える、数ある有力な駒の一つに過ぎないのかもしれません。両者の蜜月がいつまで続くか、非常に不透明だと私は見ています。
ダナ・ホワイトの「革命」の功と罪
ホワイトが掲げる最大のメリットは、シンプルかつ強力です。「ファンが見たい最高の試合を、最高のタイミングで組む」。これに異論を唱えるファンはいないでしょう。プロモーター同士のエゴや、放送局の都合、複雑な政治的駆け引きによって、どれだけのドリームマッチが実現しなかったり、旬を過ぎてから行われたりしたことか。あのメイウェザーvsパッキャオ戦も、実現までに5年以上の歳月を要しました。そのじれったさから解放されるというのは、確かに抗いがたい魅力があります。
しかし、その「功」の裏側には、看過できない「罪」が潜んでいると私は思います。
UFCでは、ランキングや実績よりも、人気や話題性、つまり「ペイ・パー・ビューが売れるかどうか」がマッチメイクを左右することが常態化しています。ランキング上位の堅実な選手が何年もタイトル挑戦を待たされる一方で、人気選手が敗戦後すぐにタイトル戦線に復帰する、といった光景は珍しくありません。
当然、ボクシングにもそういう流れはありますが、一方で、IBFを始めとした厳密なランキングを保っているところもあります。このランキングシステムというのは、絶対に良いというものはなく、各団体がそれぞれの特徴を持って決めていけば良いとも思いますし、それに文句を言いながらも(4団体あるので)逃げ道があるのもボクシングの良いところ。
ボクシングが100年以上の歴史の中で育んできた、世界王座の権威、ランキングの正当性、そして指名挑戦権という文化が、この「興行至上主義」によって破壊される危険性を強く感じます。
そしてそのことは、マッチメイクにも影響し、中央集権となると選手たちは誰と戦うか、という選択肢がなくなります。これにより、貧富の差に似た、「人気格差」により、実力差のありすぎるマッチメイクが横行するのではないか、ということは非常に心配するところです。
ホワイトは長年、「ボクシングは壊れている(broken)」と公言してきました。しかし、その言葉は裏を返せば、「俺のやり方(UFCモデル)が絶対的に正しい」という強烈な自負と傲慢さの表れです。彼はボクシングの複雑な生態系、つまり、選手をゼロから育てる地域の小さなプロモーターから、世界的なメガプロモーターまでが共存する多様性を理解しようとせず、「非効率」の一言で切り捨てようとしているように見えます。これはボクシング文化そのものへの冒涜だと、私は思います。
ファンが手にする「効率性」という甘い果実の代償は、選手の自由と、競技としての公平性が損なわれることかもしれません。これこそが「甘い罠」の正体だと私は考えています。
欺瞞
さて、ここからがこの話の最も根深く、そして私が最も(感情的に)問題だと感じている部分です。ホワイトとTKOグループは、自分たちのボクシング参入を正当化し、法的なお墨付きを得るために、ある法律の改正を推進しています。その名も「モハメド・アリ・アメリカン・ボクシング復興法」。ボクシング史上最も偉大で、最も反骨精神にあふれたチャンピオンの名前を、自分たちのビジネスのために利用しようとしているのです。
この法案は、一見すると非常に正当なものに見えます。なぜなら、アリの未亡人であるロニー・アリ氏が公式に支持を表明しているからです。彼女は「もしモハメドが生きていたら、将来の世代のためにボクシング界が強くあり続けることを望んだでしょう」と声明を出しています。さらに、カリフォルニア州アスレチック・コミッション(CSAC)でも満場一致で支持が可決されています。ここまで聞くと、「アリの遺志を継ぐ素晴らしい法案じゃないか」と思ってしまいますよね。しかし、事実はもっと複雑です。
ここに、この計画の最大の欺瞞と矛盾が潜んでいます。BoxingSceneやAthlon Sportsなどの報道によれば、アリの娘であり、熱心なボクシングファンであるハナ・アリ、そしてモハメド・アリの孫であり、現役のプロボクサーであるニコ・アリ・ウォルシュは、この法案に明確に反対する声明を発表しているのです。
ハナ・アリはInstagramでこう述べています。「父は常に、個人の自由意志と最善の利益を守る側に立ったでしょう。…企業でも政治でもなく、人々、つまりファイターを守ったはずです」。これは、TKOという巨大企業が主導する法案への痛烈な批判に他なりません。
現役ボクサーである孫のニコ・アリ・ウォルシュの言葉はさらに直接的です。「アリの名を持つ者として、モハメド・アリ法の改変に完全に反対します。祖父はこの法律を、ファイターが搾取されるのを防ぐために戦い取りました。これを取り除けば、プロモーターが支配権を握り、ファイターの報酬は下がるでしょう」。
未亡人は支持し、血を分けた娘と、そのリングを受け継ぐ孫は反対する。この「アリの家族」が分裂しているという事実こそ、ホワイト氏とTKOが「アリの遺産」を自分たちの都合の良いように政治利用している何よりの証拠ではないでしょうか。2000年に制定されたオリジナルの「モハメド・アリ・ボクシング改革法」は、プロモーターの不当な搾取から選手を守ることを目的としていました。しかし、今回の「復興法」は、UFC型のプロモーター主導モデルをボクシングに持ち込むためのものです。彼らはロニー氏の支持を「錦の御旗」として掲げ、法案の持つ本質的な危険性を巧みに隠しているように、私には思えてなりません。
感情的プロモート論
ボクシング業界というのは腐っていて、ボクシング・イズ・デッドです。
ただ、腐ったなら腐ったなりの、死んでいるなら死んでいるなりの楽しみ方があります。当然、生き返れば生き返ったなりの楽しみ方もあるのでしょう。
ただ、ダナ・ホワイトが仕掛ける「革命」は、その実、スポーツとしてのボクシングを、TKOグループの厳格な管理下にある「ショービジネス」へと変質させる危険性を色濃く孕んでいます。それは、予測不可能なドラマが生まれるリングを、株主を喜ばせるための台本が透けて見えるステージに変えてしまう行為に他ならないと、私は考えます。
確かに、好マッチメイクがすぐに見られるようになるのは歓迎すべきことです。しかし、その代償はあまりにも大きいのではないでしょうか。ジムや地域に根差し、多様な才能を育ててきたプロモーターたちが淘汰され、選手のキャリアパスが「ダナのお気に入り」かどうかという、たった一つの基準で決まってしまう。そんな中央集権的な世界は、決して健全とは言えません。
この黒船の到来を、私たちは単なる「メガファイトが実現する」という一面的な喜びだけで迎えるべきではないでしょう。
エンターテイメントとしても折り合いをつけているからこそ、今のボクシング界があります。今のままで良い、とは思いませんが、ダナ・ホワイトとトゥルキ・アラルシクが提唱するようなカタチにおいて、我々が大好きなボクシングを継続できる未来は個人的にはあまり見えません。だから、私はこう思います、ダナ・ホワイト、お前は失敗してしまえ、と。
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