日本時間6/30(火)、AM2:00から日本vsブラジルだそうです。
サッカーのワールドカップに興味はないですが、そんな人にもニュースが流れてくる、というのがメジャースポーツですね。
きっと野球ファンやサッカーファンにボクシングのニュースはほとんど流れないのでしょう。
そんなサッカーに一切興味のない私でも、ブラジルという国が強豪であることは知っています。
では、サッカーファンは、ブラジルにかつて世界最高と謳われた「黄金のバンタム」エデル・ジョフレというボクサーがいたことを知っているのでしょうか。
ということで今回のブログは、日本vsブラジル(もちろんボクシング)について。

ファイティング原田(笹崎ジム)vs エデル・ジョフレ(ブラジル)
まず取り上げないわけにはいかないのが、1965年5月18日、愛知県体育館で行われた世界バンタム級タイトルマッチ、ファイティング原田とエデル・ジョフレの一戦です。
この時点での戦績は、王者ジョフレが47勝(37KO)無敗3分、挑戦者の原田が38勝(17KO)3敗。数字だけを見ても、原田が大きく分の悪い挑戦者であったことが分かるかと思います。
そしてこの「47勝無敗」という数字以上に、ジョフレの強さを物語るのが、それまでの防衛戦の内容です。
王座獲得後、ジョフレは8度の防衛戦をすべてKO(あるいはTKO)で飾っており、判定に持ち込まれたことすら一度もありませんでした。「黄金のバンタム」と称されたのも、伊達ではなかったわけです。
さらに言えば、ジョフレはプロデビューからこの時点まで、一度も黒星をつけられたことのない完全無敗の王者であり、当時、ボクシング史上最長と言われた無敗継続記録を保持していたボクサーでもありました。階級・国籍を問わず、当時の世界バンタム級において、彼の存在は文字通り別格だったのではないでしょうか。
そんな圧倒的な強者を相手に、原田は判定2対1という僅差で勝利を収めます。これがジョフレにとってプロ入り後初めての黒星でした。さらに翌1966年5月31日、東京で行われた再戦でも原田が判定勝ちを収め、結果としてジョフレが生涯で喫した敗戦は、この原田との2試合のみとなりました。
ジョフレはその後、一度引退と復帰を経てフェザー級でも世界王座を獲得する2階級制覇王者となり、最終的な戦績は72勝(50KO)2敗4分という、見事すぎるキャリアでこの世を去っています。1992年には国際ボクシング殿堂(IBHOF)にも表彰されており、現在でも「史上最高のバンタム級王者」と評する声が非常に多いボクサーです。
↓ジョフレについて
その彼の生涯におけるたったふたつの敗戦が、日本人ボクサーである原田だった、というのは、日本のボクシングファンとしてはなんとも誇らしいエピソード。いつの時代も、テクニカルで、完全無欠のボクサーを壊すのは、常識にとらわれないファイティングスピリッツを持ったボクサー。
狂った風車とも表現されたファイティング原田というボクサーが真骨頂を見せた試合であり、井上尚弥登場までは日本のTBEといえばファイティング原田だった、というのは理解できることです。
当時の日本のテレビ視聴率は50%を超えていたとも言われ、まさに国民的な一戦だったのだと思います。日本ボクシング史において、最も色濃く語られる「日本vsブラジル」の対戦と言えますね。
村田諒太(のちに帝拳)vs エスキバ・ファルカン(ブラジル)
そして、ジョフレvs原田、もしくは原田vsジョフレを生で見れていなくても、もう一つ印象深い日本vsブラジルのカードが、2012年ロンドンオリンピック、ボクシング・ミドル級決勝の村田諒太とエスキバ・ファルカンです。
この決勝戦は終始接戦で、最終ラウンドでファルカンにホールディングの反則が取られ、村田に加点。最終スコアは14対13という、わずか1ポイント差での決着でした。これにより村田は、1964年東京大会の桜井孝雄氏以来48年ぶりとなる日本人のボクシング金メダリストとなりました。
当時のファルカンは、ボクシング階級においてブラジル初の金メダルを期待されるボクサーでした。
そして、この大会のミドル級において、村田が必ずしも圧倒的な本命視されていたわけでもなかったと思います。
実力者が揃う重量級だけに、村田以外にも金メダル候補と見られていた選手は他にいたはずで、その点では村田にとって運も味方した部分はあったのではないでしょうか。
たとえば、前年(2011年)の世界選手権で村田に勝利し、世界王者となったイェフゲン・フイトロフ(ウクライナ)。しかし彼は、初戦で地元のアンソニー・オゴゴ(イギリス)に不可解な判定で敗れ、姿を消しています。
この苦手かもしれないボクサーの初戦敗退というのは、村田に運が味方した瞬間だったのかもしれません。
しかし村田は村田で、決勝を前にして最大の難敵を退け、ファンの期待を高めています。
2007年、2009年に世界選手権を連破したアボス・アトエフ(ウズベキスタン)に勝利。この時、村田は内山高志直伝の左ボディを多用し、ダメージを与えていったように記憶しています。
そうしてほぼ王者の証明を為し遂げた村田の前に立ちはだかったのが、エスキバ・ファルカンでした。
そのファルカンに僅差の判定で勝利した村田は、「日本人には無理」と言われ続けたこのミドル級で、ある種プロの世界王者になるよりも難しい偉業をやり遂げてみせたのです。
オリンピックのボクシング競技の金メダルは48年ぶり。しかも、ミドル級。
奇跡に奇跡をかけあわせたような大勝利でしたね。
この一戦をきっかけに、ファルカンは長年「村田との再戦」を望み続けていたようです。プロ転向後の村田がWBA世界ミドル級王座を獲得した際にも、ファルカンは公の場で再戦を訴えていましたが、結局その願いが実現することはありませんでした。
ファルカンは2023年にヴィンセンツォ・グアルティエリ(ドイツ)とのIBF世界ミドル級王座決定戦に敗れて世界挑戦を失敗したあと、エベルト・ソウザに敗れて連敗。
このソウザこそがブラジルから2人目(1人目はロブソン・コンセイサン)のオリンピック・ゴールドメダリスト。
↓エベルト・ソウザについて
つまりはファルカンは、プロキャリア10年超にして後輩の踏み台となってしまったことになります。その後2連勝したファルカンですが、つい先日、ウィルケンズ・マシューというカナディアンプロスペクトに8RTKO負けを喫しています。このマシューは21歳、そしてファルカンは初のKO負け、この事実を突きつけられれば、もう長くは戦えないでしょう。
結果的に、村田はこの金メダル獲得を契機としてプロ転向、恵まれたマッチメイクによって世界王者となり、ゴロフキンとも戦いました。一方で、銀メダリストながらもマッチメイクに恵まれず、世界挑戦のチャンスはプロで10年のキャリアを築いてからだったファルカン。
この一つの戦い、わずか1ポイントの戦いは、それぞれの人生にあまりにも大きな1ポイントだったのかもしれません。
ともあれ、ファイティング原田にしても、村田諒太にしても、ギリギリの勝利。しかしその勝利は、勝った方を史上最高という栄誉へとのし上げました。
ということで、別に2:00から見たりはしませんが、サッカーの日本代表の健闘も祈っておきましょう。
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