信太のボクシングカフェ

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ボクシングが大好きです。大好きなボクシングをたくさんの人に見てもらいたくて、その楽しさを伝えていきたいと思います。

激闘王、八重樫東。2階級制覇、難敵を退け運命の一戦へ。Part2

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激闘王、八重樫東のキャリアを振り返っているブログです。(第二回)

↓Part1はこちら 

boxingcafe.hatenablog.com

八重樫東は、高校、大学出のアマ経験を経て大橋ジムからプロデビュー。2度目の世界挑戦でタイの世界王者、「ターミネーター」と呼ばれたポンサワンから10RTKO勝利でWBAベルトをもぎ取り、見事世界王者となりました。

大きく素早いステップワーク、スピーディーなジャブとそれを基軸として放たれる高速コンビネーションを武器として世界王者となった八重樫。そしてその野望は、世界王者となった2011年10月24日、試合後の控室での大橋ジムの大橋秀行会長から語られました。

 

それは、「日本初の王座統一戦」というもの。

他団体の王者(当時JBCが認可していた世界タイトルはWBAとWBCのみ)同士が闘って勝者を決める王座統一戦は、日本ではこれまで一度も行われていませんでした。(但し、渡部二郎、長谷川穂積が事実上の王座統一戦には臨んでいます。)

大橋秀行会長は、非常に革新的であり、冒険的。世界王者となると、得てして敗北を恐れ、可能な限り勝てそうな相手を選んで防衛戦を行うというのが常である中で、世界王座獲得後すぐに大変夢のあるカードをぶち上げてくれました。

敗北を恐れず、最強をめざすそのスタイルは、古くヨネクラジムから培われているヨネクラスピリッツ。世界王者となり、機が熟すのを待っていれば階級変更や敗北などで結局実現できなかった、となる例は事実多いと思います。この思い切りの良さは、初防衛もしていないWBA王者にとっては茨の道で、それでも素晴らしい決断だったと思います。

 

当時のWBC王者は、井岡一翔(井岡)。

当時の井岡ジムは一翔の叔父で元世界2階級制覇王者の井岡弘樹(グリーンツダ)が会長(現在は井岡弘樹ジムに名称変更)であり、大橋会長と同時期に活躍した井岡会長は、数年違いで同じ王座を保持したりと浅からぬ因縁がある相手でもありました。

師匠の時代から縁のある相手との王座統一戦。ドラマ性たっぷりなこの1戦は、2011年末、井岡が2度目の防衛戦を1RTKOで難なくクリアすると、一気に実現に向かって動き始めます。

↓4階級制覇王者、井岡一翔のキャリアを振り返るブログはこちら

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ゴングがなり、1R、2Rは八重樫のプレッシャーで井岡は押され気味。しかし、井岡の的確なパンチは八重樫の両目を腫らし、回を追うごとにひどくなるその腫れは何度もドクターのチェックが入りました。

八重樫は両目を腫らしたことで早々にTKO負けのピンチに陥りますが、気持ちを切らさずファイタースタイルを選択し、前に出て左右のフックを振るいます。

前に出てくる八重樫に対し、持ち前の距離感を活かしカウンターで迎え撃つ井岡。

試合は予想以上の好試合となり、ラウンドごとの判定が非常に難しいシーソーゲーム。

日本人同士の世界戦の根底にあるものは、意地と意地のぶつかり合い。私の予想は、技術に優る井岡が、それでも気持ちの強い八重樫をしとめきれずに判定勝利、というもので、果たしてその通りにはなりましたがそれ以上に熱いものを見せてもらいました。

 

井岡vs八重樫、伝説の一戦の動画はコチラ↓

https://www.asianboxing.info/videos/category/kazutoiokavsakirayaegashi

この大感動の1戦は、八重樫のそのファイトスタイルが、スピードやコンビネーションに真骨頂があるわけではなく、あくまでもボクサーとしての熱いハートにあるものだということを証明してみせた試合だったのだと思います。

大方の予想としては井岡有利、やはり抜群の距離感を誇る井岡を、八重樫が崩せないと見る見方がやや多かったと思います。しかし八重樫は、腫れ上がってほとんど見えないその両目から、勝ち切る方法を最後まで探し続け、一瞬たりとも試合を諦めるようなことをしませんでした。それは確実に観客に、ファンに伝わり、その試合を見た多くの人は「八重樫東」というボクサーの虜になったと思います。

この試合は2012年のリング・マガジンのファイト・オブ・ジ・イヤー(年間最高試合)にもノミネートされますが、残念ながらこの年のファイト・オブ・ジ・イヤーはあの衝撃的な試合となったパッキャオvsマルケス4。しかし極東の国で行われた、最軽量級であるミニマム級の一戦が、本場米国の識者の目にとまり、ノミネートされたことは大変偉大で、栄誉あることだと思います。

 

こうして王座統一戦として行われた初防衛戦で王座陥落した八重樫。井岡はこの試合のあと階級をライトフライ級に上げましたが、八重樫もこの試合のあと2階級目にチャレンジします。

井岡戦から半年と少し経った2013年1月5日、八重樫はリングに帰ってきました。

50.0kg契約、相手はセンムアンルーイ・ゴーキャットジム(タイ)。ほぼフライ級のリミットのこの1戦を、9RTKOで勝利し、再起成功。

飛び級でのフライ級王座挑戦

ここで八重樫に早くもチャンスが回ってきます。WBC世界フライ級王者、五十嵐俊幸(帝拳)への挑戦が決定しました。

井岡戦では師匠の大橋秀行と井岡弘樹の代理戦争とも言われましたが、今回もトレーナー同士が同級生、その代理戦争。八重樫のトレーナーである松本好二(当時ヨネクラ)、五十嵐のトレーナーである葛西裕一(当時帝拳)はともに横浜高校の同級生であり、更に世界タイトルまであと一歩届かなかった(3度の挑戦失敗)という経歴を持ちます。

そして八重樫にしてもアマで五十嵐に4度闘って4敗しており、この世界戦はリベンジ・マッチでもありました。

2013年4月8日、五十嵐俊幸vs八重樫東のゴング。

八重樫はこの日、変則的なボクシングを見せます。ステップというよりものしのし歩くようなスタイルから接近し、頭を振りながら細かい連打。

 

とまどう五十嵐は、序盤からペースを握られてしまいます。4Rの途中採点は、2者がフルマークで八重樫。五十嵐は焦りを隠せません。

八重樫の作戦から、近い距離で闘う両者はバッティングでそれぞれが流血。

それでも自分のボクシングを捨てない五十嵐は、ジャブから立て直そうとしますが、八重樫の勢いは止まりません。終盤にはまた八重樫の攻勢が目立ち、大差判定で八重樫の勝利!

見事飛び級での2階級制覇を成し遂げました!

八重樫が鍛え上げられたフィジカルを活かし、とてもミニマム級上がりとは思えないボクシングを展開しました。

五十嵐は良いところを封じられ、八重樫の土俵で戦ってしまったのが敗因といえるでしょう。

ともに流血しながら打ち合うという激闘で、作戦勝ちという内容だった八重樫。スピード、パワー、タフネス、テクニックだけでないボクシングの奥深さを味あわせてくれた一戦でもありました。

こののち、同年8月12日に初防衛戦でオスカル・ブランケット(メキシコ)をダウンを奪った上での判定勝利で退け、2度目の防衛戦では元WBC世界ライトフライ級王者、エドガル・ソーサ(メキシコ)を迎えることとなりました。

 

難敵、エドガル・ソーサ。

ソーサは2000年にデビュー、地域タイトルを闘っていた2003年頃に3連敗を喫するなどしていましたが、2007年に「ハワイアン・パンチ」ブライアン・ビロリア(アメリカ)を王座決定戦で降し、WBC世界ライトフライ級王座を獲得

その後は2009年までの間に10度の防衛を成し遂げた名王者。そして2階級制覇を目指しフライ級に転級、八重樫戦は2度目のフライ級王座挑戦。(1度目はポンサクレック・ウォンジョンカムに判定負け)

エドガル・ソーサというボクサーは超攻撃的な元王者で、まさにメキシカン好みのボクサー。勇敢で、手数が多く、被弾をものともしません。

井岡戦、五十嵐戦で接近戦での強さを見せた八重樫は、この頃には既に「激闘」というイメージがついていました。ここで序盤から打ち合うようでは厳しいのでは、という見方も。

しかし八重樫は相手によって闘い方を変えられる、引き出しをたくさん持ったボクサー。そして大橋陣営も相手をしっかりと研究し、最適な戦略を施すことができます。

この試合の八重樫は素晴らしい闘いをしてみせました。これも八重樫のベストバウトに数えられる一つ。

↓フルファイト動画

2013-12-06_Akira_Yaegashi_vs_Edgar_Sosa - video dailymotion

 

パンチャーであるソーサに対し、自身の武器である出入りのスピードとハンドスピードを活かし、ほぼ完封といった内容。改めて八重樫東というボクサーの技術の高さ、ボクシングIQの高さを証明する一戦となりました。

3度目の防衛戦はオディロン・サレタ(メキシコ)戦

2014年4月6日、大田区総合体育館。

この日は前座にローマン・ゴンサレス(ニカラグア・帝拳)が登場。メインは当時日本人最速の6戦目で世界王座へ挑む井上尚弥(大橋)に譲り(アドリアン・エルナンデス戦)、セミファイナルでの試合。

この日、先に控えるロマゴン戦を意識してなのか、八重樫はサレタを圧倒しようと序盤に圧力をかけます。しかしサレタは速く、なかなか捕まえられずに逆にサレタにいいようにボクシングされてしまいます。

八重樫の目が腫れ始めた中盤、ヒット・アンド・アウェイに闘い方を変えた八重樫。このあたりの柔軟性も八重樫の武器でもあります。

 

ここから一気に流れは八重樫となり、逆にサレタは失速。

八重樫は9Rに右ストレートを起点としてダウンを奪い、立ち上がったサレタでしたがレフェリーはストップ。

八重樫、9RTKOで3度目の防衛に成功!

そしてこの勝利者インタビュー。

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「こんな僕ですけど、(ロマゴンと)やってもいいですか?」

この言葉に、会場は大きな大きな声援と拍手で応えます。

↓フルファイト動画。インタビューまでバッチリ。

www.asianboxing.info

ローマン・ゴンサレス。ミニマム級では日本の誇る天才・新井田豊(横浜光)を完膚なきまでに叩きのめし初戴冠。その後ライトフライ級も難なく制覇、防衛戦でも無類の強さを発揮した結果、挑戦者が現れなくなり、転級。

その全盛期は、2020年現在のスーパーフライ級ではなく、ライトフライ級〜フライ級にかけて、というのが一般的な見解であろうかと思います。

 

事実、この数年後、ローマン・ゴンサレスはPFP(パウンド・フォー・パウンド=階級が同じだった場合に最も強いボクサー)最強の称号を手に入れるのです。

そのロマゴンへ挑戦状を叩きつけた八重樫は、常に強者を追い求める求道者のように見えました。正直、勝ち目は薄い。しかしそのハート、強者を求めてやまない強い心こそが、八重樫東が八重樫東たる所以のように思います。だからこそ、私も含めてたくさんのファンが八重樫についていったのでしょう。

Part3へ続く

 

 

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