信太のボクシングカフェ

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ボクシングが大好きです。大好きなボクシングをたくさんの人に見てもらいたくて、その楽しさを伝えていきたいと思います。

「黄金のバンタム」の系譜。ファイティング原田から、井上尚弥へ続く道。

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黄金のバンタム

「黄金のバンタム」という言葉は、ボクシングファンならずとも聞いたことがある方もいらっしゃると思います。

かつて、「黄金のバンタム」(ガロ・デ・オーロ)と呼ばれた、エデル・ジョフレ(ブラジル)というボクサーがいました。無敵を誇ったチャンピオンで、生涯戦績が78戦72勝(50KO)2敗4分。驚異的なレコードです。

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1957年にプロデビュー、1960年に世界バンタム級王者に。(この時、バンタム級の王者は世界に唯一人、真のチャンピオンでした。)一度引退するも、カムバックして1973年にフェザー級王者となり、2階級制覇王者となります。

そのジョフレが、バンタム級時代に呼ばれていたニックネームが「ガロ・デ・オーロ」、つまり黄金のバンタム。

その黄金のバンタムの戦績の中のたった2敗が、日本人で2人目に世界王者となった、ファイティング原田(笹崎)に被ったものなのです。史上最強のバンタム、とも呼ばれるエデル・ジョフレは、日本の「狂った風車」ファイティング原田にしか敗けていない。この事実が、今もバンタム級の総称、敬意を込めた呼び名として「黄金のバンタム」と言われているのではないでしょうか。

前回、西岡利晃(帝拳)について振り返ってみていたら、バンタム級について書きたくなりました。それは、私にとって西岡は、ウィラポン4戦目まで、辰吉丈一郎(大阪帝拳)の後継者、という位置づけだったからだと思います。

ということで、日本人の生んだバンタム級の世界王者を振り返っていきたいと思います。

ファイティング原田

バンタム級で最初に世界王者になったのは、ファイティング原田。フライ級で世界王者になったあと、バンタム級でエデル・ジョフレに挑戦。リアルタイムでは見ていませんが、ジョフレに敗けた「ロープ際の魔術師」ジョー・メデル(メキシコ)に、原田は痛烈なカウンターで倒されています。

おそらく期待は薄かったと思いますが、ジョフレと15R(当時の世界戦は15R)を闘い抜き、判定勝利。その後、再戦も制す。

ファイティング原田は、フライ級、バンタム級に続き、フェザー級でも世界挑戦し、王者のジョニー・ファメンション(オーストラリア)から3度のダウンを奪いながらも露骨なホームタウンデシジョンにより判定負け。実質3階級制覇と言っても過言ではないですが、公式記録は覆りません。その後の再戦では敗北し、引退しています。

現在と違い、認定団体も階級も少なかった時代、原田をKOしたメデルも結局世界王者になれなかった、世界王者の希少価値がものすごく高かった時代。現在の価値で単純にはかると、4団体統一王座。(今よりボクサー人口は少なかったとは思いますが)ファイティング原田が、日本人で初めて、アメリカのボクシング殿堂に入ったのもわかります。

 

ちなみに、ファイティング原田のファイトスタイルは、「狂った風車」のニックネームの通り、旺盛なスタミナを武器としたファイターです。とまらない連打で相手を根負けさせてしまう、というもの。同時期の海老原博之や青木勝利のような、カミソリパンチやメガトンパンチは持っていませんでしたが、おそらく努力の人だったのでしょう、「フライ級3羽烏」と呼ばれた日本ボクシング界草創期のホープたちの中でも、突出した実績を誇っています。

誰も敵わなかった「最強のバンタム」、「ガロ・デ・オーロ」エデル・ジョフレを破ったファイティング原田の功績を讃え、そのインパクトのために今でもバンタム級を「黄金のバンタム」と呼ぶ所以でしょう。

辰吉丈一郎と薬師寺保栄

ファイティング原田の偉業以降、バンタム級での世界王者はなかなか生まれませんでした。

1984年、当時JBCが認可していないIBFの世界バンタム級王座に挑み、見事獲得したのが新垣諭(奈良池田)。

そしてその3年後、1987年に六車卓也(大阪帝拳)WBAの世界王座を獲得します。

1991年に辰吉丈一郎(大阪帝拳)が、WBCの世界王座を獲得。(ちなみに辰吉の「吉」の字は「土に口」、「丈」の字は「右上に点」がつきますが、変換できないので悪しからず。)

わずか8戦目で(当時の日本最速記録)、チャンピオンのグレグ・リチャードソン(アメリカ)を攻めきってのTKOでの戴冠。それまでも前評判は高かった辰吉ですが、その才能を見せつけました。しかし、その後は眼の異常を訴え、「網膜裂孔」の診断。長期離脱を余儀なくされます。戴冠戦から1年後、初防衛戦でビクトル・ラバナレス(メキシコ)に敗北し、プロ初黒星。

再起戦をクリアしたあとに、WBC王者の辺丁一(韓国)に挑む予定が、王者の辺の怪我により暫定王者が設けられ、ラバナレスとの再戦。僅差の判定勝利をつかみ、再度(暫定)王座につきます。このあと、同年11月に正規王者の辺と統一戦を行う予定でしが、今度は自身の左眼「網膜剥離」によりキャンセル。

辰吉は、とてつもない攻撃力を持った素晴らしい天才ボクサーでした。防御カンもよく、ディフェンスに徹すればそんなにパンチをもらわずに戦えた事でしょう。教わらなくてもできる、天才ボクサー。

現代の天才ボクサーと呼ばれる井上尚弥も、自らを天才と称するのは否定し、「天才というのは、辰吉さんのようなボクサーをいう」と言っています。

 

しかし、自らの好戦的な性格が災いし、またおそらく先天的に眼が弱く(私もそうでしたが、さして打たれなくても眼に異常をきたす人はいるようです)、キャリアの大切な時期を棒に振ってしまいました。

おそらくピークを迎えたであろうこの時期に、停滞してしまったことも、辰吉のボクシング人生のドラマ性を語る上ではスパイスになります。

その辰吉がキャンセルした世紀王座戦は、薬師寺保栄(松田)が、辰吉の代役として王者の辺丁一に挑み、判定勝利でWBC正規王座を獲得。このタイトルマッチの判定は物議を醸すものではありましたが、薬師寺は2度目の防衛戦で辺の挑戦を受け、11RTKOでこれを退けています。

翌1994年12月4日、辰吉と薬師寺は統一戦に臨みます。

予想は圧倒的に辰吉の優位。

この名勝負は、筆舌に尽くしがたい。日本中が熱狂し、日本中の注目が集まった試合。当時中学生だった私が、初めて現地に足を運んで観戦した試合で、私にとってもものすごく特別な試合です。ここでは割愛させていただきますが、薬師寺の判定勝利。

ちなみに辰吉丈一郎は、1997年に当時無敗のシリモンコン・ナコントンパークビュー(タイ)をKOで打ち破って奇跡の復活を遂げ、暫定あわせて3度目のタイトル奪取に成功します。

当時の日本ボクシング界においては、網膜剥離は即引退。ボクサーライセンスを剥奪されてしまうような状況でした。それでも諦めなかった辰吉と、その協力者。素晴らしいドラマを見せてもらった辰吉には、感謝しかありません。辰吉がこだわったバンタム級、それもWBCの緑のベルトは、私にとって特別な意味を持つものになりました。それは、このドラマを見ていた全てのボクシングファンーも含めた日本人全員ーにとっても、そうだったのかもしれません。

そして2003年には、戸高秀樹(緑)が、スーパーフライ級に続いて、WBAの世界王座(暫定)を獲得し、2階級制覇。 

 

長谷川穂積と山中慎介

日本人の体格としては、バンタム級というのはちょうど良い階級なのでしょう。

バンタム級周辺の階級には、今も昔もレベルの高い日本人ボクサーがひしめきあっています。毎年開催される新人王戦を見ても、バンタムからフェザー級にかけてはエントリー選手もたくさんいます。

しかし、バンタム級で最初にタイトルを獲得したファイティング原田以降、防衛記録については原田を越えるボクサーは現れませんでした。(薬師寺が4度の防衛で原田と並ぶ)

1998年、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)が、辰吉の王座を奪います。その後、再戦でも力の差を見せつけたウィラポンは、西岡利晃(JM加古川→帝拳)との4度の対決を含み、通算14度防衛。

辰吉の後継者として注目を集めた天才・西岡利晃も、ウィラポンの牙城を崩せず。

しかし、ウィラポンにも落日の時がやってきました。長谷川穂積(千里馬神戸→真正)がウィラポンに挑戦し、判定勝利でWBC王座を戴冠。

長谷川のそれまでの戦績は19戦して17勝2敗、KO勝利は5。しかし、王者になった長谷川は、そこから殺人的なカウンターパンチと高速コンビネーションを武器に、無類の強さを発揮します。

初防衛戦をTKOでクリアすると、2度目の防衛戦ではウィラポンをもTKO。その後、10 度の防衛に成功しますが、うちKO勝利は7。特に2008年〜2009年にかけては、5連続KO防衛を遂げ、KOラウンドも序盤のKOという圧倒的な強さ。

その勢いを駆って、当時のWBO王者、フェルナンド・モンティエル(メキシコ)との事実上の王座統一戦に臨みます。「事実上の」とつくのは、当時はまだJBCがWBOのタイトルを認めていなかったためで、長谷川が勝てばWBCの王座防衛、モンティエルが勝てばWBCとWBOの王座統一、という変則的な試合形式で行われました。

序盤から王者同士の試合にふさわしい、ハイレベルな攻防。1〜3Rは、ジャッジの見立てでは長谷川が有利。しかし4Rの終了間際、衝撃的なシーンが。

残り10秒を知らせる拍子木がなり、少し気をぬいたか長谷川、モンティエルのあまりにも危険な左フックを浴びてしまいます。ここでクリンチか、ガードを固めればしのげたかもしれません。ともすれば倒れた方が良かった、とも。

ここで長谷川は打ち合いに出て、結果打ち込まれ、残り1秒を残してストップ。

「日本のエース」と呼ばれ、無敵を誇った日本のバンタムが、敗れた瞬間。

たった4Rながら、技術の粋をつくしたメガファイトは、悲しみの中に幕を閉じました。

ここまで、早い回でのストップを連続していた長谷川、おそらく反射的に打ち合いにいってしまったのがよくなかった。(結果論です。)

この後、フェザー級を制するも防衛戦でジョニー・ゴンサレスにKO敗け。バンタム級で無敵を誇った頃とは違い、ムキになって打ち合う姿が多く、しかも体で負けてしまっているので、大いに心配していました。

しかしその闘い方を最後まで貫き、結果的に引退試合となったウーゴ・ルイス(メキシコ)戦、ロープに詰まった長谷川は相手の猛攻に対してやはり打ち合いにでて、かつての姿を取り戻したかのような高速連打で打ち勝ち、見事相手の戦意を喪失させて9R終了TKO勝利。自らの信念を貫いたようなファイトは、感動を禁じえませんでした。

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2010年には亀田興毅(亀田)がWBA、2013年には亀田和毅(同)がWBOの王座を獲得。亀田興毅は8度、亀田和毅は3度の防衛ののち、それぞれ返上しています。(興毅は階級変更、和毅はWBA王座挑戦のため)

その間、2011年には山中慎介(帝拳)がWBC王座を獲得、具志堅用高の持つ、日本人最多連続防衛記録である13度の防衛にあと一歩まで迫る、12度の防衛を成功させます。山中は、世界タイトルに挑戦する前戦で、ホープ、岩佐亮佑(セレス)を迎えて日本王座の防衛戦を迎えました。下馬評は岩佐有利の中でしたが、見事10RTKOで岩佐を退けたあと、WBC王座決定戦に臨みます。

クリスチャン・エスキベル(メキシコ)を11RでTKOして戴冠、初防衛戦は2階級制覇王者のビック・ダルチニアン(オーストラリア)を迎えます。この難敵を見事なアウトボクシングで退けると、ここから5連続KO防衛。後援会につけてもらったというニックネーム「ゴッドレフト」が示すように、左ストレート1本でKOを量産していきます。

山中のボクシングは非常にシンプルで、ファイティング原田のようなラッシュも、辰吉丈一郎のような天才的なボクシングも、長谷川穂積のようなカウンターもありません。

あるのは、ただただワンツー。

サウスポースタンスから、いかにして左ストレートをあてるか、のお膳立てと、その距離。山中自身も「引き出しが多くない」と語ってはいますが、対戦相手は山中の左ストレートを警戒し、しっかり研究してきた中でのこの結果は、ものすごいものです。まさに「必殺」、くるとわかっていてももらってしまう、そんな左ストレートでした。

年齢とともに、打たれ脆さが出てきた山中慎介でしたが、私的ベストバウトは11度目の防衛戦であるアンセルモ・モレノ(メキシコ)との第2戦。1戦目は距離の探り合いに終始し、ほとんどクリーンヒットがない12Rを過ごした両者ですが、2戦目は距離が近くなり、両者ともに危険な距離に。

まさに当時のバンタム級最強を決めるような試合でしたが、既に12Rを経験していた両者に様子見はいらず、試合は序盤から動きます。

 

1R、山中の左フックでモレノがダウン。4Rにはモレノの右フックで山中がダウン。

更に激しさを増していく打ち合いの中、6Rに「神の左」がクリーンヒットし、モレノがダウン。7R、ダウンを追加した山中、そのまま追い込んでKO勝利。

このダウン応酬の、エキサイティングな試合が、前述のウーゴ・ルイスvs長谷川穂積と同日(山中vsモレノがメイン)で行われた、ということはすごい事ですね。

この日、現地に行った人たちは本当にラッキーだった。。。(私はTV観戦)

そんな山中がタイトルを手放したのは、13度目の防衛戦で迎えたルイス・ネリ(メキシコ)戦。山中陣営のタオル投入による、棄権。しかし、試合後、ネリのドーピングが発覚、リターンマッチへ。そのリターンマッチでは、悪名高きネリの体重超過。

それでも試合を強行し、TKOで敗れます。

受けてしまって、リングに上がってしまったので何とも言えませんが、やるべきではなかった、と心から思います。

「神の左」山中慎介、生涯戦績31戦27勝(19KO)2敗2分

晩節をネリにより汚されはしましたが、素晴らしいチャンピオンでした。

井上尚弥対ドネアでの会場で、過去のバンタム級のチャンピオンとして紹介された山中。冨樫リングアナウンサーは、「あえてundefeated(無敗)と紹介させていただきます」と無敗のチャンピオンとして紹介しました。ボクシングにおいて、「たら、れば」は想像を掻き立ててくれる大好物なので、私も同じ気持ちです。

そして現在

ファイティング原田にはじまった日本人バンタム級世界チャンピオンの歴史。辰吉丈一郎というカリスマを介し、長谷川、山中といった名チャンピオンたちが誕生しています。

そして、現在、井上尚弥がWBA(スーパー)、IBFの王者として君臨し、次回にはWBO王者、ジョンリエル・カシメロとの統一戦です。きっと3団体統一王者となってくれることでしょう。

そして近年、辰吉が価値を高め、長谷川、山中と都合22度もの防衛をしたきたWBCのベルトは、井上拓真を退けたノルディーヌ・ウーバーリ(フランス)と、挑戦者ノニト・ドネア(フィリピン)で争われることが決まっています。その勝者が、井上尚弥と戦ってくれることで、井上は4団体制覇王者となることができ、かつてファイティング原田が勝ち取った栄光の「世界最強の称号」を得られます。

強豪ひしめくバンタム級ーアメリカ本土以外でも、メキシコ、タイなどのボクシング大国においてサイズ的に強豪が多いーその統一がいよいよすぐそこまで迫っています。

 

 

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