信太のボクシングカフェ

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ボクシングが大好きです。大好きなボクシングをたくさんの人に見てもらいたくて、その楽しさを伝えていきたいと思います。

1990年代のボクシング。最も活躍したボクサーは誰だ。

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ボクシングは歴史があり、ボクサーの闘いは時間でつながっています。1人のボクサーだけを追いかけてみても、その成長期から全盛期、そして衰退期というものがあり、それが連鎖的につながっていきます。時代を追いかけていても本当に飽きません。

切れ間なく続くこのストーリーを10年で区切ってみて、そのMVPのボクサーたち(リング・マガジンのファイター・オブ・ジ・イヤーの意)を振り返り、その中で10年でのMVPをピックアップしてみようという試みをしています。めちゃくちゃ私見を入れて。

前々回に2010年〜2019年、前回に2000年〜2009年を振り返り、今回は1990年〜1999年です。20世紀ですね。

では早速振り返っていきましょう!

1990年〜1999年のファイター・オブ・ジ・イヤー

1990年 フリオ・セサール・チャベス(メキシコ)

1991年 ジェームズ・トニー(アメリカ)

1992年 リディック・ボウ(アメリカ)

1993年 マイケル・カルバハル(アメリカ)

1994年 ロイ・ジョーンズJr(アメリカ)

1995年 オスカー・デ・ラ・ホーヤ(アメリカ)

1996年 1997年 イベンダー・ホリフィールド(アメリカ)

1998年 フロイド・メイウェザーJr(アメリカ)

1999年 ポーリー・アヤラ(アメリカ)

 

やっぱりボクシングにおいて世界の中心はアメリカだと感じる人選。地元びいきという訳ではないと思うのですが、アメリカから優秀なボクサーが出ているのと、アメリカで闘っているボクサーは評価されやすいという現状です。

今のように世界中の試合を見れる状況にないので、アメリカで闘い、評価を上げていかなければリング・マガジンに知ってすらもらえないんですね。

1990年はWOWOWが放送を開始した年。歴史を感じます。

では、個々をもう少し詳しく見ていきましょう。

1990年 フリオ・セサール・チャベス

1980年にデビューし、1989年までに3階級制覇。

1990年に前年に獲得したWBC世界スーパーライト級タイトルを防衛

1993年にスーパーライト級王座を保持したまま、WBC世界ウェルター級タイトルに挑戦、引き分けで戴冠ならず。

1994年に91戦目で初黒星。スーパーライト級王座から陥落。

同年、リマッチで勝利し、同王座に返り咲き。

1996年に防衛失敗、タイトルを失う。

1998年にWBC世界スーパーライト級王座決定戦に臨むも、引き分けで返り咲きならず。

同年、WBC世界ウェルター級タイトルに挑戦するも、失敗。

1991年 ジェームズ・トニー

1991年にIBF世界ミドル級タイトルを獲得。

1993年にIBF世界スーパーミドル級タイトルを獲得、2階級制覇。

1994年に同王座の防衛に失敗。

1992年 リディック・ボウ

1992年にWBA・WBC・IBF世界ヘビー級タイトルを獲得。(WBC王座は剥奪)

1993年にWBA・IBF世界ヘビー級王座から陥落。

1995年にWBO世界ヘビー級タイトルを獲得、一度防衛後に返上して引退。(その後復帰)

1993年 マイケル・カルバハル

1990年にIBF世界ライトフライ級タイトルを獲得。

1993年にWBC世界ライトフライ級王座を吸収、2冠王者に。

1994年に両王座の陥落。

同年、WBO世界ライトフライ級タイトルを獲得。防衛せずに返上。

同年、WBC・IBF世界ライトフライ級タイトルに挑戦するも、失敗。

1996年にIBF世界ライトフライ級王座に返り咲き。

1997年に同王座の陥落。

1999年にWBO世界ライトフライ級タイトルを獲得、返上して引退。

 

1994年 ロイ・ジョーンズJr

1993年にIBF世界ミドル級タイトルを獲得。

1994年にIBF世界スーパーミドル級タイトルを獲得、2階級制覇。

1996年にWBC世界ライトヘビー級タイトルを獲得、3階級制覇。

1997年に同王座陥落。ただし、ダウン後の加撃による失格負け。

1997年に同王座に返り咲き。

1998年にWBA世界同級王座を吸収、2冠王者に。

1999年にIBF世界同級王座を吸収、3冠王者に。

1995年 オスカー・デ・ラ・ホーヤ

1994年にWBO世界スーパーフェザー級タイトルを獲得。

同年、WBO世界ライト級タイトルを獲得し、2階級制覇。

1995年にIBF世界ライト級タイトルを吸収、2冠王者に。(IBFは返上)

1996年にWBC世界スーパーライト級タイトルを獲得し、3階級制覇。

1997年にWBC世界ウェルター級タイトルを獲得し、4階級制覇。

1999年にWBC・IBF世界同級統一戦に挑み惜敗、WBC王座から陥落。

1996年 1997年 イベンダー・ホリフィールド

1990年にWBA・WBC・IBF世界ヘビー級タイトルを獲得。

1992年に同王座から陥落。

1993年にWBA・IBF世界ヘビー級王座に返り咲き。

1994年に同王座から陥落。

1996年にWBA世界ヘビー級タイトルを獲得。

1997年にIBF世界ヘビー級王座を吸収、2冠王者に。

1999年にWBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルに挑むも、引き分けで獲得ならず。

同年、同3団体統一王座戦で敗退、陥落。

1998年 フロイド・メイウェザーJr

1998年にWBC世界スーパーフェザー級タイトルを獲得。

1999年末までに4度の防衛

1999年 ポーリー・アヤラ

1998年にWBC世界バンタム級タイトルに挑戦、失敗。

1999年にWBA世界バンタム級タイトルを獲得。

 

更に詳しく振り返ってみましょう。

まずはフリオ・セサール・チャベスです。私のアイドル。90年代後半に飼っていたハムスターにチャベスと名付けてかわいがっていたことも(笑)。1990年のMVPは、メルドリック・テイラー戦に尽きるでしょう。劇的な逆転KO。その後も引き分けを挟んで、91戦目にしてようやく初黒星(と、初ダウン)。非常にアクティブな王者で、90年代前半のボクシング界を率いたスーパースター。1993年のウェルター級戦の相手はパーネル・ウィテカー、そして初のKO負けは1996年のオスカー・デ・ラ・ホーヤと、歴史を振り返ってみると確実に次にバトンを渡していった選手。ファイトスタイルも好戦的で、非常に人気の高いボクサーでした。

ジェームズ・トニーは90年代前半には多いに活躍しますが、90年代後半にはナリをひそめてしまいました。その後、2003年に大復活を遂げ、またもファイター・オブ・ジ・イヤーを受賞することになります。1991年はマイケル・ナンを撃破し、ミドル級王者になりましたが、今現在までのキャリアを振り返って最も評価を受けるのは、1993年のアイラン・バークレー戦だと思っています。そして翌年には王座陥落してしまいますが、相手は全盛期のロイ・ジョーンズJr。その後、2000年代に入ってからも闘い続けたトニー、ヘビー級の猛者たちとも拳を交え続けて現役生活は30年。脱帽です。

リディック・ボウイベンダー・ホリフィールドからタイトルを奪取しました。ホリフィールドは、既にクルーザー級を制していまいしたが、そこまで評価は高くなかったと思います。この年獲得したタイトルは翌年のリマッチで僅差判定でホリフィールドの手に渡ります。どちらかというと1戦目、勝利したのはボウでしたが、株を上げたのはホリフィールドだったと思うのですが、2戦目の判定がそこに影響したような。。。そして1995年にはノンタイトルながら3戦目が組まれ、この3戦目は衝撃のKO決着となりました。ホリフィールドvsボウの映画の3部作といっていいような試合は、まだ見ていない人は必見です。

マイケル・カルバハルというライトフライ級の王者でも、好戦的なボクシングをして、本場でしっかり活躍すればMVPを獲れる。しかし非常に難しいですね。1990年、最初のライトフライ級の王座は、日本でもおなじみのムアンチャイ・キティカセムから奪取しました。その後、WBC王座のウンベルト・ゴンザレスとの3戦。1戦目のKO勝利でファイター・オブ・ジ・イヤーとともに年間最高試合も獲得しました。その後2戦目、3戦目は逃げ切られ、僅差の判定で敗れてしまいます。軽量級のボクサーとしてはじめてビッグマネーを手にしたといわれるカルハバル、非常に人気の高かったボクサーでした。

 

いよいよ登場のロイ・ジョーンズJr全盛期のジョーンズは打ってよし、離れてよし、の完璧なボクサーでした。1993年にバーナード・ホプキンスを破りミドル級王座を奪取、1994年にはジェームズ・トニーを手玉に取っての2階級制覇。圧巻でした。そして1996年にマイク・マッカラムを破って3階級制覇。初防衛戦でダウン後の加撃による失格負けというポカをしてしまいますが、ダイレクトリマッチでは1RKOでリベンジ。その後はライトヘビー級で統一王者に輝く等、とにかく敵なし。2000年代に入っても衰えず、2003年にはヘビー級すらも制します。ミドル級出身者によるヘビー級の制覇というのは、ボブ・フィッシモンズ以来106年ぶりの快挙となったそうです。PFPランキングでは常にトップを走り、2004年にアントニオ・ターバーに負けるまでPFPキングの名をほしいままにしました。その後の凋落も早かったですが、まさに90年代を代表する攻防兼備のスーパースターです。

オスカー・デ・ラ・ホーヤは、1992年バルセロナオリンピックの金メダリストで、同年にプロデビュー。その後はキャリアを通してビッグマッチを追い求め、強い相手と戦い続けたゴールデンボーイ。そのキャリアは賞賛に値します。ヘナロ・エルナンデスとの無敗対決、英雄フリオ・セサール・チャベスへの挑戦、名王者ミゲル・アンヘル・ゴンサレスとの無敗対決、パーネル・ウィテカーへの挑戦、そしてこちらも無敗対決、フェリックス・トリニダード戦。1999年にトリニダードに初黒星を喫するまで、強者と闘い続けて31連勝は非常に立派。2000年代に入ってからも様々なライバルと闘い、6階級制覇

イベンダー・ホリフィールドは1984年にプロデビューし、1986年にWBA世界クルーザー級のタイトルを獲得、1987年にIBF世界同級、1988年にWBC世界同級王座を獲得、クルーザー級で統一王者となって1988年にヘビー級にチャレンジしたボクサーです。地域タイトルを獲得し、ヘビー級ではいきなり統一王者となりましたが、この相手はジェームス・ダグラス。元々タイトルを統一したマイク・タイソンを破って統一王者となったダグラス相手だったので、問うつ王者とはいえこの時はまだホリフィールドがヘビー級のトップ、とは考えづらかったと思います。1992年にリディック・ボウに敗退しますが、そこでの激闘が結果として「ヘビー級でもホリフィールドは充分通用する」となった感じがします。ちなみに再戦でホリィは勝利するのですが、あの有名なパラシュート事件が。その後はマイケル・モーラーに負けて陥落も、1996年にマイク・タイソンに勝利。翌年のタイソンとの2戦目では耳噛み事件が。。。1997年にモーラーにしっかりリベンジし、1998年にはレノックス・ルイスとの頂上決戦。1戦目を引き分け、2戦目に判定負け。しかし2000年にはWBA王座をジョン・ルイスと争って獲得、ヘビー級王座に4度返り咲くという偉業を成し遂げます。決して諦めない姿が印象的な、リアルディール。

フロイド・メイウェザーJrはおそらく2000年代における最も有名なボクサーでしょう。そのメイウェザーは1996年にプロデビュー。同年のアトランタオリンピックで判定を盗まれ、銅メダルに終わったメイウェザー、その年の10月にはプロデビューしています。デラホーヤもそうなんですが、日本ボクシング界もこのスピーディーなプロ転向は参考にした方がいいな、と思います。そして1998年、ヘナロ・エルナンデスに挑戦して8RTKO勝利。エルナンデスはこの試合で引退するのですが、デラホーヤとメイウェザーにしか負けていない、名ボクサー。そのエルナンデス相手に若干21歳のプリティーボーイは勝利後、初戴冠の涙を流すのです。。。その後はマネー(金の亡者)というニックネームが浸透していきますが、この頃からメイウェザーのボクシングセンスは群を抜いていました。2020年、トレーナーに専念というニュースですが、どのような選手を育てていくのか楽しみですね。

90年代の最後は、ポーリー・アヤラ。この名前がファイター・オブ・ジ・イヤーに名前を連ねるのは大変に嬉しい。アヤラは1998年、辰吉丈一郎の持つWBC世界バンタム級タイトルに挑戦し、負傷判定で涙を飲んでいます。確かバッティングの減点さえなければアヤラの勝っていた試合。当時私はよくわかっていなかったですが、地元判定(減点も、ストップのタイミングも)といわれても仕方がない内容でした。しかし、私の中では、「辰吉に負けた男」であるアヤラが、翌年の1999年にWBA世界バンタム級王者、ジョニー・タピアに挑戦し、激闘を演じて勝利し初戴冠。この試合は年間最高試合も受賞しています。その後、2000年代に入り、エリック・モラレス、マルコ・アントニオ・バレラといったビッグネームと闘っていきますが、結果は残せず、タピアに勝った試合(2試合)がキャリアの中で光っています。

 

こうして振り返ってみると。

あれ?ロペスがいない。。。リカルド・ロペスが。。。

とまあ、そういう事はあるにしろ、元々10年間のファイター・オブ・ジ・イヤーの中から選ぶと決めていたので、残念ながらロペスは除外。

90年代前半、フリオ・セサール・チャベス。そして90年代後半にはオスカー・デ・ラ・ホーヤ。どちらも世界中を熱狂させたレジェンドボクサーですね。

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そしてホリフィールド。こちらは非常に息の長いボクサー。負ける事もあるのですが、それこそ必死に食らいつき、リベンジする。まさにリアルディール(=本物)というニックネームが似合いすぎるくらい似合う、めちゃくちゃかっこいいボクサーです。

しかし!

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1990年代を代表するボクサーは、ロイ・ジョーンズJrでしょう。

PFPという言葉は、ロイ・ジョーンズJrのためにあるようなものだと思っていた時期があります。スピードも、パワーも、ディフェンスも、タクティクスも、全てが完璧。彼の全盛の頃には、こんなボクサーに勝てる人間は、この先本当に現れるのか?と思っていました。

どうしても短期間での増量や、一度痛烈にKO負けをしてしまうと、「魔法が解けた」状態になってしまい、ターバー戦以降は非常に残念ですが、1999年時点であれば、おそらくまだ誰にも負けそうな気配はありません。議論の余地のないPFPキングだったと思います。

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世界で闘った期間やそのパフォーマンス、全てを含めると、信太的1990年〜1999年のMVPは、ロイ・ジョーンズJr!!

ということで、よろしくお願いします。

ちなみに、2000年〜2009年はこちら↓

boxingcafe.hatenablog.com

2010年〜2019年はこちら↓

boxingcafe.hatenablog.com

次回は1980年〜1989年です!この頃はリアルタイムで見てるわけではないですが、中量級のスーパースターたちがしのぎを削った時代、どんなボクサーがファイター・オブ・ジ・イヤーに輝いているのか、それすらも楽しみです!

 

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