楽しみにしていたフェルナンド・マルティネスvsジェイド・ボルネア、カルロス・アダメスvsジュリアン・ウィリアムスのPBC興行は、時間的な関係で見れず。
Showtimeはアーカイブ配信まで約1日かかるので、ライブ配信で見れなければ1日待たねばならず、これが歯がゆいところ。
そんな本日は6/25(日)、日本ボクシング史上最高傑作と呼ばれる井上尚弥というモンスターが、初のスーパーバンタム級戦にしてユニファイドチャンプであるスティーブン・フルトンに挑む一戦まであとちょうど1ヶ月。
ということで、今回のブログはスティーブン・フルトンについて。
フルトンのキャリアを語る時、2019年のこのインタビューこそはその土台になるものだと思っています。
これはPBCによるプロモーションのためのインタビューではありますが、フルトンがどのような環境のもとで育ってきたのか、が記されています。
www.premierboxingchampions.com
The Bottom
The Bottomというのは、フルトンの出身地である西フィラデルフィアの地区のようです。ペンシルバニア州に属するロッキーのふるさと、フィラデルフィアはLAやベガスよりも犯罪率が高く、その犯罪の多くは暴力事件。そして麻薬関係も多いようです。地域の名がThe Bottom(=底辺)というのは、大変な皮肉です。
殺人事件も多く、更にその殺人事件の80%に銃が使われている、ということらしく、これらの犯罪の多くはアフリカン・アメリカンの住む貧民街で起こっている、とのことです。
フルトンの生まれ育ったのはまさにそのような地域であり、彼が15歳になるまでに5人の友人が殺されているそうです。平和な日本に住んでいる身としては想像も及びません。
そんなフルトンは12歳のとき、ボクシングと出会ったそうです。
その頃、フルトンの父、スティーブン・フルトン・シニアは銀行強盗で約10年の服役を終え、シャバに出てきたばかり。つまりはフルトンJr.が2歳のときに服役したような計算になり、フルトンJr.にとっては父の記憶はこの時までないでしょう。
しかし、このフルトン・シニアが家に戻ってきたとき、彼の友人でもあるハムザ・ムハンマドとの会話の中で、ムハンマドが子どもたちにボクシングを教えている、という話になったようです。そして父は、フルトンJr.に「ボクシングをやりたいか?」と訪ねます。このことが、全ての始まりだったようです。
銀行強盗を犯してしまった父、そして母は薬物乱用の問題を抱えていた、と別の記事で書かれています。
そのような状態の中から、ボクシングという競技に一筋の光が見出され、フルトンJr.いわく「自然死するような人は一人もいない」The Bottomという地区から這い出て、見事統一チャンプに輝くことになるクールボーイ・ステフ。
ちなみに彼のことをよく知る地元の人々は、彼のことを「スクーター」と呼ぶらしい。速いって意味、なのかもしれません。
リングに立つスクーター
初めてボクシングのリングに上がった時は負けた、と書いていたのはまた別の記事だったか。その記事には、確かアマチュアボクシングのデビュー戦は負け、その後も2度の敗戦を喫し、4度目のリングで(デビュー戦で負けた相手に)勝てたのが初勝利、と見ました。
このスティーブン・フルトンというボクサーは、最初からセンスを発揮していたわけではなく、ちゃんと挫折を伴って強くなってきたボクサーなのです。
13歳となったフルトンははじめてトーナメントで優勝、その後はゴールデングローブのジュニアの部で優勝するまでになります。
2012年のロンドン五輪を目指していたそうですが、ここは縁がなく、その後WSB(ワールド・シリーズ・オブ・ボクシング)というAIBA主催のプロボクシング興行(何のこっちゃ、と思うかもしれませんが、記憶にない人は無視してくださいね。)のリングにもあがり、19歳でPBCと契約してプロデビュー。
そこから現時点まで21戦して全勝、8つのKO勝利を収めています。
フルトンの凄み
スティーブン・フルトンというボクサーは、本当に素晴らしいキャリアを築いてきています。
2014年10月にプロデビューすると、11月、12月に戦い、翌年の1月にもリングに上がっています。
初期、ハイペースでキャリアを重ねていったフルトンですが、2015年9月には無敗の相手と戦い、その翌戦も無敗の相手。
とにかく何かの罰ゲームなのか、と思うほど、無敗の相手(=底が見えていない相手、もしかすると期待の大きな選手かもしれない)と戦い続けたフルトンは、2019年に初めてのタイトルショットを迎えるまでに15戦して5名の無敗のプロボクサーに初黒星をプレゼントしています。この中には現在フェザー級のゲートキーパー的な役割を持つアダム・ロペス(アメリカ)の名前も含まれています。
16戦目、フルトンが初めて挑んだタイトルはIBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチ。BoxRecによると、当時の王者、パウラス・アムバンダ(ナミビア)を3者ともに120-107という超がつくほどのフルマーク勝利で降し、マイナー団体ながらも評価の高いIBOの世界王者となっています。
その後退けたアイザック・アブラー(メキシコ)も当時無敗のボクサー、続いてWBOインターコンチネンタルの王座を争ったアーノルド・ケガイ(ウクライナ)も当時無敗のボクサーです。
ここまでで既に評価を高めたフルトンは、アンジェロ・レオ(アメリカ)とのWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦が組まれますが、ここでコロナ感染もあり一度は離脱、WBO王者となったレオの初防衛戦の相手としてリングに上がることになります。
もうここからは良く知られたキャリアであり、プレッシャーファイターであるアンジェロ・レオを接近戦で打ち破り完勝、続くWBC王者ブランドン・フィゲロア(アメリカ)との一戦では近くで戦い互角、チャンピオンシップラウンドではボクシングに徹して僅差の判定勝利を納めています。
ここまでの20戦で、フルトンと戦った時無敗だったのは9名にも上ります。
さらなる飛躍
ここまでで王者として充分な活躍を見せていたフルトンですが、こんにち、より評価が高まった試合というのが前戦であるダニエル・ローマン(アメリカ)戦。
我々日本のボクシングファンもよく知る統一王者、ダニエル・ローマンを文字通り完封してみせた試合というのは、はっきり言って予想以上のパフォーマンスでした。
この勝利により、やや「巻き込まれた」ともみられていたフィゲロア戦は「自ら迎え撃つかたちで接近戦を選択したものだ」という観点が生まれてきます。フィゲロアよりもローマンを警戒して本来のボクシングを完遂した、といえば、たしかにその通りなのかもしれません。
何にしろ、このローマン戦こそがフルトンのこれまでの最高のパフォーマンスであり、最高の勝利と言って良い。つまり、スティーブン・フルトンというボクサーは、現在、プライムタイムにあるといえるボクサーなのです。
フルトンの武器はサイズというのは勿論のこと、そのリングIQ、引き出しの多さにあると思います。リングの上で常に最善の選択を重ねられていたからこそ、僅差の判定をものにできてきたし、未だ負けていません。
トラッシュトークを良しとせず、自らの実力を大きくもみないし小さくもみないIQの持ち主は、現代のPFP、井上に勝てる算段があってこそ日本に乗り込んでくるはずです。
「無敗」という甘美な響きは、我々ファンがまだ知らないなにかを隠し持っている可能性を秘めています。
フルトンは、この井上戦でさらなるパフォーマンスを見せてくれるのかもしれません。
The Bottom、我々では想像もつかないような底辺からのし上がってきたフィリーが、王者にも関わらずこの日本の地で、しかも無敗のPFPをチャレンジャーとして防衛戦を行う。こんなにもかっこいい王者はなかなかいません。これこそがクールボーイ・ステフと呼ばれる所以かもしれません。
この茨の道を選択してくれた王者、フルトンに敬意を払い、7/25(火)を全力で楽しみましょう。
【宣伝】
ボクシング用品専門ショップ、やってます。
是非覗いてみてください!