ボクシングの主役は、間違いなくボクサーです。
しかしその試合を支えるのは、レフェリー、ジャッジ、そしてセコンド。
セコンドの仕事とは、一体何でしょうか。タオルを投げ入れることでしょうか。それとも、的確な指示を飛ばすことでしょうか。
実際には、その両方であり、それ以上の全てです。選手の体を冷やし、傷の手当てをし、次のラウンドまでのわずかな時間で戦況を伝え、戦術を修正する。そこには、感傷に浸る暇など一瞬もありません。
私自身もアマチュアボクシングのセコンドに立つ端くれとして、その一挙手一投足、そして発する一言の重みを常に感じています。時にそれは選手のキャリアを、そして人生すらも左右しかねないからです。
ボクシングの歴史を振り返ると、そんなセコンドたちが発した言葉が、伝説的な試合の重要な分岐点となった瞬間が数多く記録されています。それはラウンド間の戦術指示だけにとどまりません。試合後の控室で、あるいは日々の練習の中でかけられた一言が、ボクサーの魂を支えることもあるのです。
今回は、そんなボクサーの運命を動かした「セコンドの名言」に焦点を当て、リングサイドで生まれた珠玉の言葉たちをご紹介していきたいと思います。

テディ・アトラス「我々は消防士だ」
まず最初にご紹介するのは、現代ボクシング界で最も情熱的で、時に厳格すぎるほどの愛情で選手に接する名伯楽、テディ・アトラスの言葉です。これは2015年に行われた、ティモシー・ブラッドリー vs ブランドン・リオス戦でのことでした。
ブラッドリーにとって、これがアトラスと組んでの初戦。対するリオスは、決して下がることなく猛然と前に出続ける、まさに「火の玉」のようなファイターです。試合はブラッドリーが技術で優位に進めていたものの、中盤にさしかかると、リオスの執拗なプレッシャーに巻き込まれ、足を止めて打ち合う消耗戦の気配が漂い始めました。集中力が切れかかり、相手の土俵で戦い始めていた危険な状況です。
そのラウンド間にコーナーへ戻ってきたブラッドリーに対し、アトラスは静かに、しかし力強くこう語りかけました。
「火事が起きているぞ。だが我々は消防士だ。いいか? 我々は消防士なんだ。熱なんて気にするな。我々はその熱の中に住んでいるんだ!」
これは単なる精神論ではありません。相手が作り出す最も危険な場所(火事)を、自分たちが最も得意とする場所(職場)へと一瞬で再定義してみせた、驚くべき心理的アプローチです。恐怖の対象であったはずの相手のプレッシャーを、「歓迎すべきもの」として受け入れさせたのです。
この言葉に魂を吹き込まれたブラッドリーは、続くラウンドで完全に冷静さを取り戻しました。その後見事9回TKO勝利を収め、結果的には圧勝。キャリアの岐路に立たされていたブラッドリーを復活させた、まさに魔法のようなセコンドワークでした。
まあ、このアツさがほしいよね、という話。
エディ・タウンゼント「勝った時は会長がリングで抱くの。負けた時は僕が抱くの」
セコンドの言葉は、必ずしも戦術指示や檄を飛ばすものだけではありません。次に紹介するのは、ボクサーとトレーナーの深い絆、そして敗者に対する限りない愛情が凝縮された、日本ボクシング史に残る名言です。
1991年、当時18歳だった井岡弘樹選手は、WBA世界ミニマム級王者・柳明佑に挑戦しました。若き天才と絶対王者の一戦は、12ラウンドにわたる壮絶な激闘となりますが、結果は僅差の1-2の判定負け。あと一歩のところで夢が破れ、リング上でうなだれる若き井岡選手に、名伯楽エディさんは静かに寄り添い、こう語りかけました。
「ヒロキ、よく頑張った。勝った時は会長がリングで抱くの。負けた時は僕が抱くの」
この言葉には、勝負の世界の全てが詰まっています。勝利の瞬間は、ジムの会長や後援者、多くの人々と喜びを分かち合うものです。しかし、夢破れた孤独な敗者に寄り添い、その痛みと悔しさを全て受け止めるのが、トレーナーである自分の役目なのだと。それは、結果によって左右されることのない、無償の愛情の表明でした。
この一言は、単なる慰めではありません。敗北の痛みの中にいる選手に、「君の価値は勝ち負けだけでは決まらない」という最も大切なことを伝え、再び立ち上がる勇気を与えました。事実、この言葉に支えられた井岡選手は、翌年の再起戦で見事に世界王座を獲得します。
試合後に語られたこの言葉は、ボクシングが単なる殴り合いではなく、人間と人間の魂のぶつかり合いであることを、私たちに教えてくれます。
結局のところ、私たちはみんなエディさんみたいになりたい。
アンジェロ・ダンディ「ロープを使え」
セコンドの仕事は、時に選手の意図を汲み取り、その常識外れの戦法を信じ抜く「覚悟」が問われることもあります。その究極の形が、1974年の歴史的一戦「キンシャサの奇跡」で見られました。
当時、ヘビー級王者ジョージ・フォアマンは、まさに怪物でした。ジョー・フレージャーやケン・ノートンといった、アリを苦しめた強豪たちを赤子扱いでなぎ倒し、その破壊力は底が見えないとまで言われていました。対するアリは32歳。全盛期は過ぎたと見なされ、多くの人がフォアマンのKO勝利を疑っていませんでした。
試合が始まると、アリは序盤こそ足を使いますが、すぐに誰もが目を疑う光景が繰り広げられます。アリが自らロープを背負い、フォアマンの強打を腕やボディで受け止め始めたのです。これは自殺行為にしか見えませんでした。世界中の解説者やファンが「アリはもう終わりだ」と確信する中、セコンドのアンジェロ・ダンディだけは違いました。
彼は、アリが何かを企んでいることを瞬時に理解します。普通なら「ロープから離れろ!」と怒鳴りつける場面で、ダンディはアリの奇策を肯定し、作戦遂行をサポートする指示を出し続けたのです。これが、ボクシング史に名高い「ロープ・ア・ドープ」戦法でした。
これは、あえて打たせることでフォアマンの体力を消耗させ、後半に勝負をかけるという、あまりにも危険な賭けです。一発でもクリーンヒットすれば即KOという状況で、ダンディはパニックに陥ることなく、アリの才能とインスピレーションを信じ抜きました。
そして運命の8ラウンド、スタミナを完全に失ったフォアマンは、ロープ際から躍り出たアリの電光石火のコンビネーションを浴びてキャンバスに沈みます。セコンドが選手の常識外れの戦術を信じ、肯定し続けたからこそ生まれた、歴史的な大逆転劇でした。
このように、(当時としては)ありえない作戦をさずける参謀とそれを信じ切るボクサー。そして明らかなアンダードッグの状態から、「運」に頼ることなく勝利を手繰り寄せる。これは理想でしょう。
ロジャー・メイウェザー「プレスをかけろ」
最後に紹介するのは、選手の戦い方そのものを180度転換させるという、極めて大胆かつ的確な戦術指示です。これは2006年、無敗のスーパースター、フロイド・メイウェザーJr.が、”スーパー”の異名を持つザブ・ジュダーと対戦した時のことでした。
当時、PFP最強の一角と目されていたメイウェザーですが、この日の序盤は明らかに劣勢でした。ジュダーの驚異的なスピードと、厄介なサウスポースタイルに完璧に対応を誤り、2ラウンドにはダウン(公式記録はスリップ)を喫するなど、キャリア最大の危機を迎えていたのです。ディフェンスマスターが、ただ翻弄されるだけの時間が続いていました。
流れを変えなければ敗色濃厚。そんな状況でコーナーに戻ってきた甥に対し、叔父でありトレーナーのロジャー・メイウェザーは、檄を飛ばします。
「奴をリスペクトしすぎだ!もっとプレスをかけろ!ボディを打て!これはもう喧嘩なんだよ!」
これは、メイウェザーの代名詞である「ヒット・アンド・アウェイ」のボクシングを、根本から否定する指示でした。距離を取ってポイントアウトするのではなく、あえて相手の得意な距離に入り、消耗戦に持ち込め、と。ジュダーの生命線であるスピードを殺すには、しつこいボディ攻撃とプレッシャーしかないと、ロジャーは瞬時に見抜いたのです。
このアドバイスは、まさに神の一手でした。5ラウンド目からメイウェザーは、まるで別人のように前進を開始します。執拗なボディブローでジュダーのスタミナを削ると、あれほど輝いていたスピードは急速に失速。中盤以降はメイウェザーが完全に試合を支配し、終わってみれば大差の判定勝利を収めました。
自らのスタイルを捨ててでも勝利を掴む。その大胆な決断を選手に促し、無敗神話を救ったこのアドバイスは、歴史に残る戦術的なセコンドワークと言えるでしょう。
これもフロイドという選手のスキルの理解と、ロジャーというセコンドの信頼関係により成り立つ戦法だったはず。この試合はジュダー情けなし、と言われることもありますが、主体的に流れを変えていったのは間違いなくメイウェザーの方です。
結局、今やボクシング界の主流になってしまった「メイウェザースタイル」ですが、現在は亜流で、フロイド・メイウェザーJr.はどんな状況にあってもそれを覆せるスキルを持っており、それをロジャー・メイウェザーはよくわかっていたということなのでしょう。
そんなわけで、週末に注目試合がないウィークデイ、少しでも暇つぶしになれば幸いです。
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